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愚痴を書くブログ

網走

数ヶ月前に網走に行ったときのこと。ただ「網走」の地を踏みたかっただけで、それ以外に特に目的も用事も無かった。しいて言えば道の駅スタンプを集めていたぐらい。初夏だというのにどんより曇っていて寒い日だった。到着したのも夕刻で、興味本位で訪ねてみた網走刑務所の観光施設的なものはすべて閉館しており、「収監者の撮影は禁じます」という旨の看板と警備員が私の行く手を立ちふさぐのみであった。道の駅でスタンプを押印。大きな窓からは鉛色の海が見える構造。中心市街地へはそこから徒歩で移動できる距離。典型的な地方都市といった感じで、大型デパートの残骸のようなものが街角に居を構えていた。素朴な雰囲気のアーケードでは商店の宣伝や行政からの連絡事項などが絶えず流れていた。私はそこの一角にあった居酒屋に入り、酒は飲まず「ご当地グルメ」を謳うどんぶりを戴いた。焼き鮭の切り身のようなものに、とろろが掛かった和風のどんぶり。味噌汁と添え物が付いて1,000円弱。居酒屋の主人曰く、「この街も昔はもっと賑わってたんだけど、今は人口が4万を切ってしまった。もう公務員ばっかりの街だよ」。

網走に滞在したのは2時間ぐらい。それまで網走に関する「知識」とは地図やインターネットサイトなどでしか知り得ないものであったが、そこに、キリッと冷えた空気の感触や、空のどんよりした感じや、海の鉛色や、デパート跡の外観の乱雑な感じや、アーケードの街宣や、ご当地どんぶりの食感や、風味や、居酒屋の主人の話し方の調子や、そういった「感触」が、血肉のように乗っかった。今では網走を思い返すとそういったもろもろの感触が、波のように押し寄せては少しずつ静かに引いていく。

実感が伴わないことに関しては何も語ることができないのです。「ピンとこない」ことは悪いことではないと思います。ただ単に、実感を伴う経験が無いだけ。十分な量の水でもって錠剤を喉の奥へ流し込むみたいに、「ピンとこない」ものごとも、経験とそこからくる実感があれば自然と身体に浸透していく。私は上司や周りの人から言われることが「ピンとこない」ことが多い。でもいろいろ経験をしてみたら、ある日いきなり、あのときの、あの「ピンとこなかった」言葉はこういう意味だったのか!と気付かされることが往々にしてある。だから、自分の足で、目で、耳で、頭で、言葉で、経験をすることは重要である。そこからのみ、薄い膜状の知識の上に、重く厚い感触というものを載っけることができる。だから、自信を持って語れるものことを増やすためには多方面への多様な経験が必要で、でも多方面に手足を伸ばすためには知らないことに臆さないことが必要で、そういう「度胸」や「勇気」がとても大事なものだと思いました。だから、私の脳内の網走に血肉を与えたように、これからも地図でしか見たことがない街や地域に車を走らせたいと思います。