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愚痴を書くブログ

平成31年の帰郷

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幼稚園から高校卒業まで住んでいた街に久々に行った。お正月休みが例年より長かったことと、人に会う予定ができたことが理由。

生まれたのはそもそもこことは別の土地で、実家もいまはそちらにあるので、この街にはこれといった約束事がなければ全く行くこともなくなってしまった。私が私たる礎を築いた、といっても過言ではないその街からは自然と足が遠ざかってしまい、遠ざかってしまったまま年月が流れることとなった。そうした中での久々の訪問ということで、なかなかに感慨深いものがあって。

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日中に時間があったので、思い入れのある場所を何時間もかけて思いつく限りに歩いてみようということをあらかじめ決めていた。車で移動するのも電車で移動するのもジョギングするのも好きだが、その土地をじっくり見て回ることが目的の場合はイヤホンもせずにとにかく歩くと決めている。音やにおいまで含めてその土地を感じるために、五感をフル稼働させてゆっくりと歩く。歩くことは楽しい。「趣味:徒歩」とさせていただくことも視野に入れている。だいたい山と街がテリトリーです。

第一目的地の海鮮料理店はせっかく行ったのにお正月休みで訪問できなかったけれど、その近くにある定食屋で遅めの朝食とし、腹ごしらえを済ませてから行動開始(お刺身盛りと鯖の塩焼きの定食に締めのコーヒーもついて1,100円!)。住んでいた地域の方角へ、高校生の頃に好きでよく歩いていた川沿いに移動することにした。

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小学生の頃に写生教室の題材となったセメント工場は独特の風貌で、今風に言うと「インスタ映え」する代物だと思う。住んでいたころは写真もやっていなかったのでそんなことは微塵にも思わなかったけれど。川縁には白鳥が飛来していてエサをやっている人たちがいた。受験勉強に飽きた頃に散歩をしによく訪れたあたりだけど、こんなに白鳥がいただろうか?意識していなかっただけで、きっと元からいたのだと思う。人間の業に比べると自然に生息する動物の習性というのはそう簡単に変わらない。

港湾エリアから1時間半ほど歩くとかつての生活圏に入る。新興住宅地と古くからの住宅地と田畑が入り交じる独特の空気。小学校の友達が住んでいてよく遊びに行っていた団地の公園は半分が駐車場になり、半分は公園のままで残っていた。

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バネで前後するパンダの遊具だけが6体色褪せた状態で残っていて、なぜこれだけを残したのか疑問。地域の子供たちはその公園に行ってもパンダに跨がり虚ろに前後する以外の選択肢がなくなってしまった。子供たちの遊び場よりも駐車場不足のほうが団地運営上切迫した問題だったことから、担当者が涙を飲んで他の遊具を撤去したことが見て取れる。

歩くこと数分でかつて住んでいた家にたどり着いた。私が住み始めた24年前は新築で、周囲の住宅に比べて真新しかった記憶があるが、今は色褪せて見えるのは隣にあった空き地が新興住宅地に様変わりしたことだけが原因ではないと思う。駐車場には知らない車が停まっていて、知らない誰かがそこで生活を営んでいるのであろう。中を見ることは叶わないが、おそらく我々が住んでいたときとは部屋割りや置いてある家具のレイアウトも異なっているのだろう。私自身、引っ越しを繰り返してきた人生なので、これまで育ってきた家や部屋が現在ではことごとく他の誰かのものになってしまった。と改めて書き起こすとなんともいえない不思議な気分になる。それは歓迎すべきことなのか。はたまた由々しき事態なのか。本当はどうでもいい気もする。端から見ればそれはある種「切ない」事象なのかもしれないが、当人にとっては案外そうでもない。何かを捨てる時に、捨てるまでは思い出や未練がウジウジと湧いてきて捨てることを思いとどまってしまいそうになったとしても、いざ捨ててしまうと途端にその物のことなど忘れてしまう現象と似ているかもしれない。突き詰めるとそもそもの話かつての生活様式をいつまでも保存しておくことにどれほどの意味があるのかという話にもなるし…。縄文時代の遺跡でもあるまいし…。と数分ゴニョゴニョした後に考える意味もわからなくなって旧家の前を後にした。

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いつも行っていた床屋も、怪我がちでいつもお世話になった整骨院も普通に営業していて安心した。昨年ブレイクした芸人よろしく、ひょっこり訪問して元気な姿を見せたい気持ちもあったけれど、土曜の日中にお邪魔しては悪いかと思ったのとなんか照れ臭いのとでそのドアを叩くことはできなかった。そんなことを言っているうちにいつまで経っても挨拶に行けないことは承知している。照れ臭さというのは往々にして足枷でしかない。

住んでいた街のよく知っている道と、あまりよく知らない道とを辿りながら滞在先に戻った。

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幼い頃から親世代が「あそこには昔あれこれがあって」「街並みが様変わりした」と言うのを聞かされていたが、今回の訪問で私がそうした場面を目の当たりにすることとなった。確かに街は変わっていく。新しくできたもの、かつてはあったがなくなってしまったもの、昔から変わらずにあるもの。郊外に新興住宅地ができた。全国展開しているお店の看板が目につくようになった。足繁く通ったお店が空きテナントになった。高校生のときにできたたい焼き屋はとっくに無いだろうと踏んでいたが普通に営業していた。一番の衝撃は、高校時代最も濃密な時間を過ごしたグランドが潰されて立派な屋内スケート場が建設されていたこと。

また僕を育ててくれた景色が呆気なく金になった

少しだけ感傷に浸った後 「まぁ それもそうだなぁ」

Mr.Children 「ランニングハイ」)

スケート場は公共施設だから、資本っぽさは薄いけど。

人がどんな街で、どんな環境で育つかというのは価値観や性格を形成するうえで重要なファクタになると思っている。寒冷な地域で育った人は温暖な地域で育った人と比べてセカセカしてるとか、都会で育った人に比べて田舎で育った人は多少マイペースに生きているとか、あくまで傾向に過ぎないとは思うけれど。大都市から程遠く冬はとことん冷え込むような地方都市で育ったからこそいまの自分の性格があるわけであって、これが首都圏だったり温暖な土地であったらまた違った人格に仕上がっていたかもしれない。

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感覚レベルで染み付いているものもある。東側と北側が海で、南に向かうにつれなだらかな丘陵地となり標高が上がっていくという土地の感覚は言葉にできないシックリ感がある。スマホや地図がなくても感覚的に家のあった方角に歩いていくことができるような…。反対に、平坦な内陸部や山に囲まれた土地ではやはりそこに住んでいても「よそ」の感覚がある。

歩いた距離は22.1km、歩数は28,000歩余り。所要時間は休憩も含め5時間ほど。歩いていただけだが非常に充実した夢のような時間だった。川を遡りながら自らのルーツを辿るかのような心持ち。変わっていくものと変わらないものがあったが、変わらないように見えたものもこれから少しずつ変わっていくのだろう。あと、街は私抜きでも普通に営まれてきたし、これからも営まれていくのであろうことを実感した。当たり前のことではあるけれど。