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愚痴を書くブログ

精神の自動高揚装置

有給休暇を2日消化して生成した10連休のうち、ここまで9日間(※正確には、連休前最終勤務日にも「連休だ!ウオー(酒を開封する)」のムーヴを発動しているので10日間)の連続飲酒を記録してしまい、それが今なお継続中。誠に遺憾。小生の不徳の致すところ。こんな体たらくでは今年度の健康診断でも「今はまだいいけど、腹囲の推移が傾き正の綺麗な一次関数のグラフを描いているので気をつけろよ」と医師に指摘されてしまうのが目に見えている。

なぜ人は飲酒してしまうのか。せっかくの休日なので、できれば高揚していたい。それも明るいうちから。高揚するためにはアルコール。アルコールには不思議な力がある。高揚しながら聴くと素晴らしい音楽はより素晴らしく聴こえるし、見える世界も普段に増して輝いて見える。こうして文字に起こしてみたのを傍から見るとまるでアルコール中毒一歩手前のヤバくなりつつある人のように見受けられるかもしれないが、普段は社会の歯車としてまじめに仕事をしており、金曜日以外の平日は一人で飲まないルールを設けているので安心してもらいたい。とはいえ、定年とかで平日にやることがない完全体の暇人となったら本物のアルコール依存者になってしまうのではないかという一抹の不安がある。そういった年になるまでに何らかの対策をするか、あるいは身体を壊して本気でアルコール摂取ができない身体にしていくかしなければなるまい。

「対策」としてはいくつか考えているが、そのなかで最も有効で、崇高で、かつ実現可能性が低いのは「アルコールの力なしでも十分に世界の素晴らしさを感じられる感性を身につける」というもの。アルコールに頼らずとも、これ以上ないほど目の前の風景が素晴らしいと感じられたら、それ以降アルコールは必要ないであろう。目の前の不安を視界から追いやるためにアルコールを摂取するのだという人がいる。その場合でも、そもそも不安が不安でなくなればアルコールは必要ではなくなる。アルコールで嵩上げしていた諸々を自身で解決する術が用意できれば、アルコールはその味を嗜好する以上の用途がなくなる。ただその術が自分の中で見つけられていないので、その道の先駆者がいらっしゃればぜひ「コツ」を教わりたいところ。

自分の中で発生した不調和に対する解決策を自分自身の中に持つ、というのはこの現代において特にエッセンシャルな能力だと日々感じています。たとえばメディアを通じて流れてくるのは小綺麗にラッピングされた他人の成功や幸せや美談などの話がほとんどで、そうした波動を真っ向から受けてしまうと自身の日常のみすぼらしさを感じ、往々にして気が落ちてしまう。外圧による不調和が生じる。不調和にどう対処するかといえば、自分も負けじと小綺麗な「素晴らしい自分」の発信者になるとか、匿名での憂さ晴らしに転換していくとか、不調和のきっかけになるようなメディアからは距離を置くとか。主観的な話をすれば、できるだけ他人を巻き込まずに自分一人が気持ちよくなれる方法で不調和を解消していきたい。他人を巻き込んでしまう形で不調和を消化しようとする動きが、この世の中いたるところで、本人の意思とは関係のないところで、様々な歪みをもたらしているのだろうなあと漠然と考えたりすることがあります。

現にこの記事も「他人の文章に比べて小生の文章のいかにくだらなく、つまらないものか」という思いから何回か書き直しているし、自身の中にそういう装置を持つというのはなかなか容易い話ではない。持っていて、なおかつ適切に使えている人がごくわずかであるから、インターネットの海原はいつも荒れ果てているのだろう。何の話でしたっけ。とりあえず明日も連休お疲れ!という掛け声と大義名分のもとでアルコールは開封してしまうだろう。アルコールの力なしに正しく世界を美しがれるほど、今の自分はまだ成熟していない。