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愚痴を書くブログ

単に胃もたれ

決してあの時はまずかったから大量に残したわけではなく、ひとえに私たちの無計画・詳しく言えば注文のしすぎこそが確固たる原因であった。そのことをシェフに態度で伝えるべく再び訪れた中華料理屋ですが、おいしいおいしいと言いながらうっかり限界まで食べ過ぎてしまったため翌日まで胃もたれが残り、胃の不調に一日の活力をほとんど持っていかれたと言っても過言ではない。そもそもあの店とは相性が悪かったのかもしれない。もう諦めるべきなのかもしれない。空腹で眠れないことはまれにあるけれど、満腹すぎて眠れないのは初めてだったと思う。満腹で見た夢は極めて不快な内容で、私はほぼ馴染みのない函館という地で知らない市民の人たちから絶えず非難を受け続けていた。夢の中の函館は暗くて街路が複雑で迷路のようで、山が実際の函館のそれとは反対側に配置されていてずいぶんと雰囲気が違っていたように思う。現実の話、函館とは私にとって不思議な土地で、私が単なる余所者であるところのこの島の中では唯一地元に著しく寄った立地。であるならば、地元への道が険しく表現されたこの夢が暗示するところは、たるんだ自分に対する自らの後ろめたさの発現であり、また、親族からの喝や叱咤の発現であろうと解釈しました。

胃もたれを紛らわすため延々手を動かし足を動かして仕事をするのがいいと思ったので、パソコンをいじって数字を見るより職場後方の整理整頓を行った。目を背けたくなるような「処理待ち」の張り紙がされた品々をひとつひとつ手にとって、まずは一旦端に寄せておく。スペースをテープで区画分けし、これから受けることになる処理というものを基準にして品々を振り分けると、誰が見ても一目で状況が判別できる。一旦ゴチャゴチャにしたものをきちんとした秩序を決めて、ルールに応じて枠の中にはめていくのが好き。学校の勉強も結局はそのようなもので、出題された課題をこれはこう、これはこう、と型にはめてまずは把握してそのうえ解法を導くという点で、崇高なふりをした単なる作業だったように思う。だからはまった。今日は就職してから初めてと言っていいほど熱中して作業に取り組んだ。胃もたれのことも一瞬忘れることができた。普段思うような成果が上がらないのはきっと熱中していないせいだろうとここで初めて納得した。とはいえ興味の湧かないことに熱中しろと言うのは、太陽光で水を沸騰させようとするようなものである。

胃もたれのせいで飲みの約束を延期し、なかなか仕事をしない胃と遊びながら家で一人時間を過ごしていた。私の胃にまつわる事情をほぼ知らない人から追加で誘いがあったが、それも胃にまつわる事情をきちんと説明して断った。コミュニケーション不全が人間同士、ひいては組織のトラブルの根底にある場合は多い。逆に言えば、徹底的に説明すれば大概の組織や信頼関係は崩れないはずである。私は人間としての中身が薄いから、繊細な感覚が無いから大体の誘いには何も考えずに乗るようにしているものの、今日は大事を取って説明して断った。大事を取ることにも度胸が必要。断ることにも度胸が必要。でも何より誤解のなきようきちんと説明するのが一番難しいと思う。 仕事だからといってもそれが簡単にできず苦悩する場面はある。