beautiful and wonderful

愚痴を書くブログ

キワモノ

朝7時に起きるとその日のうちに眠くなるので健全な感じがする。23時頃、自然とコタツに吸い込まれて意識を失いながら、たまに意識を取り戻しながら、1時頃に完全に目覚めてここに至る。あしたは11時半に起きても仕事に間に合うのでちょろい。

なかば無意識の中で紅葉のニュースを聞いていた。自分の世界の中で紅葉なんてとうに10月中頃ぐらいの時点で終わっていたが、まだ紅葉全盛期の地域もあるらしい。さらに言えば地球温暖化の影響で、あったかいほうの地域では将来的に紅葉が年を跨いだり跨がなかったりする計算があるらしい。それが困るっていうんで、紅葉が秋にちゃんとなるようにコケとかを微調整してやってるらしいのが京都の方のお寺のはなしらしい。具体的な科学的なバイオロジーの話については詳しくないので割愛。感覚的にお正月の紅葉というのは本当に狂ってる感じがするので抵抗感があるのは理解できるが、それは一度受け入れてしまえば案外そういうものとして受け入れられる気もする。一歩目の抵抗感を取り除くのが一番の障壁だというのはよくある話。イカやタコなどの海のキワモノたちを最初に食おうと思った奴の気が知れない。人間が工業化をすすめると同時に二酸化炭素をふやし侵犯してしまった(ということにされている)環境を、また人間がすこし小手先のテクニックを用いて、その負の影響をとりあえずしのぐという手段には寝ながらにしていささかの違和感をおぼえずにいられなかった。というか罰当たりな感じがする。千年とかの長い自然のスパンを前に調子づいたことをすると、どれだけ人間が無力でしかないかというのはこのまえの大震災で思い知ったところではなかったのか。

そのあとにつけていたテレビで、秋の味覚ということで柿がピックアップされていた。柿など何年もたべていないので口懐かしくやや惹かれる部分があったが、わたしの家にはフルーツナイフがないので、柿をたべるには初期投資としてフルーツナイフの購入が必要。柿は皮ごと食えない点でリンゴに劣り、ナイフがないと剥けない点でミカンに劣る。柿からしたら好きで纏ってるわけではない皮のおかげで勝手に自身への価値判断が取りやめられるのははた迷惑な話であるだろう。純粋に味覚などの品質の面でフェアに評価してあげたい気持ちはやまやまだが、いかんせん私はフルーツナイフを持っていない点で、柿の評価に関しては3歩出遅れている。

それらの無意識下でのテレビ視聴を終えて、秋などとうに通りすぎてしまった虚しさと部屋の寒さとを感じながらさきほど完全に目を覚ましたのでありました。エネルギー不足感があったのでガストでやけ食い。胃もたれ。風邪が長引いて咳が止めどなく出る。風邪を引いたと聞いて前の職場の人が心配してメールをくれた。返そうとしていまどき逆にショートメールのやり取りのしかたなど忘れて文字数制限に引っ掛かった。テクノロジーは移り変わっても人は変わらずあたたかく、愚直だ。