beautiful and wonderful

愚痴を書くブログ

アルマジロ

アメリカ滞在中のことを振り返ろうと思ってインスタグラムを開けたら、自分の投稿はまるで食事の写真しかなかった。滞在中に何をいつどこで身体に取り込んだかをそうまでして全世界に知らしめたかったのか、あるいは食事の写真以外に知らしめたいことがまるでなかったために仕方なしに食事の写真だけ生存報告までにアップロードしていたのか、そのどちらかあるいはいずれも。人にはもれなく自分を知ってほしい、さらにもし気が向いたら褒めてほしいという欲求というのが備わっていて、それを梃子にして発展してきたのがSNSであって、ここに延々書き連ねてきたこともご多分に漏れずきっとそういう種類のものなのです。

会社はセミナーなどを開くと、若手社員とかに方向性を教示するための「ランドマーク」として偉い人を呼んで講義をすることがあり、「ランドマーク」側はいつかどこかで聞いたような自身の成功秘話や哲学などを楽しそうに披露する。その様子を見て憧れた若手社員は、あそこで聞いた講義とこの講義の人のこういうところが良かったとか、実際に話したら誠実な性格であったとか、社内政治がどうだとか、漏れなくそれまでの自分には関わりのあるまじき出来事に、あたかも自身が関わったかのように嬉しそうに語る。そういうのの繰り返しで会社への忠誠心や社風というものが、「まっさら」であった若手の間にも育まれていくのだろうなあと感じました。

40かそこらで中途入社して5年ほどで突然昇進した人の話を拝聴する機会があって、セミナーの講義などを含めても一番面白かった。前の会社でそれなりに偉くなったのに、転職して5年間は凡庸な立場に置かれていじめられ続けた。突然昇進が決まった瞬間からガラッと周りからの態度が変わって笑えたよね、と言って実際に笑いながら、実際に何度も手のひらを裏返すポーズをやってのけた。

どういう人物のどういう点を評価して「ランドマーク」にするかは会社の判断であり、仮に人事について決定権を持つ主体が揃って変更されれば、どの人物がどの肩書きにつくかというのは180度変わってくる可能性もあることと思う。人間の脳は普段10パーセントしか使われておらず残りの90パーセントはオフ状態になっているとかどうとか、脳医学に精通していないので悪しからず真理がどうかは知りません。仮にそうだとしても、その10パーセントに生理的な部分や生命維持などの重篤な機能が含まれているので、たかが仕事にかかわる部分などは多く見積もっても半分くらい。そのうちさらに、肩書きを与えられる際に考慮された部分とされなかった部分とがあるはずで、結論としては脳みそのたかが2~3%くらいの部分で行われていることが大いに評価され、著名になって祭り上げられ、周囲からの態度というものを楽しく乱高下させるものなのだということです。昇進システムに巻き込まれて喜んで手の平を返すような大人になるよりは、やっぱり肩書きに関係なくフェアであって、偉い人を祭り上げるよりも道端のタンポポとかに興味がある。偉い人を祭り上げるのは自分の役割ではないから。そのへんは手の平返しの名手たちに任せておけばよいと思われ。

セミナーの感想を書いて漏れなく提出してくださいと言われたので、忘れないうちにA4の白紙に10枚ぐらいただちに書きあげて提出しようと思ったが、400字詰め×2枚という字数制限があったのでやる気が削がれてその時間を昼寝に充てた。昼寝の度が過ぎて、一日ほぼ食事をした覚えしかないままに22時を迎えた。また食事の話をしている。意識の高い人は寝ずに何かをやり遂げたエピソードを嬉しそうに語るのであって、その代償にえらい量の時間を昼寝に吸い取られてしまった話などは理想の自分にあるまじき行為として封印するのだという。そうやって自分のエピソードを微調整しながら、誰かにとっての「ランドマーク」としての自分の偶像を生みだそうとするのが偉くなるということなのだと思います。道端のタンポポには綿毛を遠くまで飛ばしてほしい。この辺からなら隣の深川市ぐらいまで。