beautiful and wonderful

愚痴を書くブログ

都会は溢れて田舎は足りない

f:id:oszq:20150117162657j:plain

都会は溢れて 田舎は足りない それとも逆か 似たようなものか

ー「Wonderful and Beautiful」レミオロメン

 

・都会は溢れて田舎は足りない

3分おきに電車が来る都会がある。一方で、2時間に1本の電車が不採算のため廃止となり、バスに代替された田舎がある。地方は合理化という盾でじりじりとすり潰されていく運命なのです。一度不便になると人が離れ、そのことが拍車となってさらに地方は荒廃する。この循環は「悪循環」という言葉を教育するための最もわかりやすい教材である。地方が荒廃することに抵抗するのはシステム的な不都合、たとえば震災が起こったとき国が崩壊しないようできるだけ人やサービスが分散していたほうがいいとか、地方でしかできない産業が立ち行かなくなるとか、そういった問題もさることながらあくまで建前で、一番大きいのは心理的なところだと思う。自分の育った地方から人が消えて荒廃することに対する、理屈では説明できない抵抗感。対して、システム的な理屈をもって地方に人を呼び戻すことは難しい。震災がどうのと言っても、人々の生活がある以上それだけでは地方に人を呼び寄せる誘因にはなり得ないし、地方でしかできない農業や工業についても担い手は現に安価な海外に流出しつつあるので、地方がなくなったところで代わりを海外に求めればいい。逆にいえば、心理的なところさえ潰せれば都市一極集中はきっと簡単に実現する。システム的には、狭い区域の中でのみ公的サービスなどが完結できたほうがコストも低く合理的なのだから、それがよいに決まっているのである。すべて都市になれば、たとえば投票権の「一票の格差」などで騒ぎ立てる必要もなくなり、必要以上に頭を悩ませることもなくなるのではないでしょうか。もっとも、そういう不平等を唱える人が全くいなくなるとは思えませんが。

 

・子供は溢れて大人は足りない


はるかぜちゃん、ツイッターアカウントを削除 「声優の名前の勘違い」が大炎上 : J-CASTニュース

若くしていろいろなことを知りすぎてしまうのは不幸なことだなと思う。英才教育がはやし立てられているが、一方で学校の帰り道に道草を食い、うんこなどを踏んで泣きながら家に帰っていた自分が幸せだったと思う。何も知らなくて。よくいえば無垢で、悪く言えばただただバカで。子供の頃はなにも知らなくても、いろんな経験をしながら歳を食って、いろんな物事のしくみや感情などを知って、時間をかけて大人になる。けれども、彼女は道草を食ってうんこを踏むみたいな「何も知らない」期間をすっ飛ばし、幼くしていろんな経験を積んでしまったのだと思う。積みすぎてしまったのだと思う。正しい考え方をいち早く身につけて、全く正しいことばかり言っているから。そして正しいことが最も人の神経に触れるものだから、年下に一丁前な口を利かれることをよしとしないインターネットの大人たちが黙ってはいなかった。たしかに13歳の女児に面と向かって正しいことを言われたらわたしも腹が立つだろう。それは相手にもそうだが、もっと大きいのは13歳に言いくるめられそうになっている自分自身に。そんな自身の不手際をごまかすために、相手をこき下ろすのです。それが人間の本能だから。大人もそれくらいはちゃんとバカだから。大人によって育てられたキャラクターが、大人たちによってこき下ろされるのは皮肉なものだなと思った。

はるかぜちゃんの存在を否定するわけではないし、それぞれの親がどう子供を育てようが勝手だが、英才教育などやめて子供はバカでいるべきだと思う。子供のころから余計な敵を作るような環境に身を置かせるべきじゃない。何事も節度は重要だが、そこそこちゃんとした学校に入らせて、ちゃんとした社会の中で教育を受けさせれば、ゆくゆくはそれなりに大人になるのだから。早ければいいってもんじゃない。人々は幼いころに多才であることを持てはやしすぎだと思う。誰かが昔「人生は20歳までにいろんなイベントやうまみが詰まりすぎている」と言った。20歳を過ぎても可能性の種は枯れないし、純粋な心持ちで才能の花を咲かせる努力を社会の忙しさにかまけて怠ってはいけないと思う。子供は溢れて大人は足りない。

 

・欧米は溢れてアジアは足りない

それとも逆か。いいえ。きっと似たようなものだ。

イスラーム国に興味はない。政治的な問題すべてに首を突っ込んだからえらいってもんでもない気がする。

 

・人間味は溢れてシステムは足りない

ブログを始めて一年らしい。こういった丸何ヶ月とか何年というのは単に時間の区切りにすぎないので、これといってそこでシステム的に何かが変わるわけではない。その数字に意味はない。ただ人間の心理的には、これだけの期間続けたという目安となり、そこから芽生える達成感や愛着などの感情は重要である。システムだけで物事は語れない。人間味に溢れてシステムに足りないものである。