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愚痴を書くブログ

言い訳Maybe

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例えば中学まで学業優秀でずば抜けていた人が高校に入ると突然低迷したり、高校まで優秀だった人が大学で留年したりという事例が身の回りに結構多くて、そのメカニズムが長いこと理解できなかったものの最近になって少しわかってきた。遊びに目覚めたとか、部活がとか、恋愛がとか、いろいろ外に理由をつけることもできるけれどもっと大きいのは、それぞれの進学の段階で「求められるスタンス」が微妙に変わってくることなのだと思う。中学生は言われたとおりにちゃんとやっていればまあ何とかなって、高校生になると基礎は教えてくれるけど応用を定着させるために例題にガンガンあたる必要があって、それをどれだけやるかは本人のモチベーション次第。大学生はもはや自分から何も働きかけなければ手をかけてくれる大人はいないような有様で。

そんな折に就職活動が始まると、途端にコミュニケーション力やリーダーシップや問題解決力というものが重宝される。これまでの各進学ごとに求められる方向性は少しずつ変化してきたが、ここで世界はより大きく回って「優秀」の基準も変わってくる。もちろん進学をするごとに自分で何とか考えて解決しなきゃいけない場面の比率は高まってきたから、なんとなくその伏線みたいなものはあったにはあったけれど、いかんせんこのシフトチェンジが圧倒的。誰かが「野球の地方大会で勝ち上がってきたつもりが全国大会の種目が相撲だった」みたいな例え方をしていたが、同じ球技ということで相撲よりもバレーボールぐらいが適切だと思う。それまでの「優秀さ」にのさばっていたので、その陰で自分で考えることは必要最小限しかやってこなかったツケが回ってきている。それでも何とかここまでやってこれた、でもそれが通用しないステージに立った。長いこと上手くやってきた習慣を一気に変えることは難儀である。

人間の思考は結構単純なもので、負の要素がぎっしりでも正の要素が輝いていれば脳みそのムードは「勝ち」に向かって走り始めるし、案外正の要素が多くても負の要素に意識が集中してしまえば、使い古された言葉を拝借すれば「負のスパイラル」というものに陥りがち。「優秀であること」に望みがあったのでここまで明るく過ごしてこれたが、それが否定されると自分には何の価値もないのではないか?と何をするにも塞ぎこんでしまう。順調に生きてきたように思えていたがそこ以外に拠り所がなくて、案外綱渡りだったんだなぁとこれまでを振り返ってみて感じる。20代後半は、20代前半までに「自分は優秀なので」見過ごしてきた様々な人間的な能力を回収しに行く時期とする。