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愚痴を書くブログ

ちぐはぐに回る

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3分走ったら息が切れました。先日海沿いの施設で観光をしていたら、楽しみにしていたアザラシの餌付けショーの時間を過ぎてしまい、焦って700メートルぐらい、懸命に走ってなんとか間に合いました。2015年初の疾走。息が切れました。心はもっと先へゆけると確信していても、脚が、心肺が追いつかない。日常的にトレーニングしていた学生時代の10年間の積み重ねを、トレーニングをやめてからの2年間は帳消しにしてしまった。外見を変えるのは難しいが中身を変えるのは簡単だ、という言説はおそらく大きな誤りで、きっと中身のほうがはるかに変わらないものだと思う。物質的なものほど時間をかけてゆっくりと大きく確実に変化する。対して精神的な要素は期待するほど大きく変わらないものだと感じる。心はもっと先へゆけると確信していても、脚が、心肺が、心が期待するほどシャープに動いてはくれない。

物質的に過去には戻れないが心だけはまだ艶をもっている状態が老害というもので、身体や脳味噌という物質の制約を克服できず、克服できない自らを責める心理がうつというものなのだろうと思う。精神と物質のつり合わなさでいろんな人が悩んでいるし、逆に精神と物質のつり合わなさを自覚するだけでもいろんなことがなし崩し的にうまくいくのだろうと思う。でもきっと簡単には自覚できず、アザラシへ向かって懸命に走った私よろしく心は心肺に勝手に期待しては痛めつけ続けるものなのでしょう。不健康を克服するために健康になるための行為を今春は積もう、と、心は決意したものの、心のままに進めばきっと膝や腰が壊れて本末転倒、振り出しに戻る将来は見えている。心はより高い場所にあって、昔のまま突き進もうとする自分自身をコントロールしている必要がある。健康になりたいという目標を達成できるかどうかは、きっと心が心をコントロールできるかどうかに懸かっているのだ。