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愚痴を書くブログ

お盆

お盆だということを忘れていました。朝から職場店舗にはお客様が多く、それなりにバタバタしたのですが夕方ぐらいにはある程度落ち着いてきました。「できること」の幅が日々増えてくると、それが「やらなければならないこと」に変わり、ノルマとなって追いかけてくる。一か月前の自分が背中すら捉えられなかった仕事に今は追われている。簡潔にまとめるとまだ指示されたことしかできていないという風な指摘を受け、異動前の職場では一丁前にエリア管理的な仕事を捌いていたのにその経験が全く活かせてないな~と思って若干へこんだが、そもそも1か月前まではこの新しい職場の基礎の基礎からなんにもわかってない状態だったので、指示されたことを辛うじてこなせているだけでもある程度は立派なことなんじゃないかと自分を慰めた。これを世間一般的には自慰と略します。そもそも大学を出ようが社員だろうが、自分はなんでもない平凡マンだってことは前の職場ですごい痛感させられたので、どれだけ期待されようと平凡には平凡の働きぶりしかできないのだと諦めて、背伸びしたりしないことがそれなりに重要だと思いました。

最近思うんですけど、世の中の心の8割はコンプレックスでできている気がします。だいたいの人はコンプレックスをもってると思う。ではそれを自分の心の中にあるゴミ処理施設みたいなところでどう処理するかで人当たりに非常に大きな差が出るもので、例えば、コンプレックスを必要以上にデカく捉えてしまって人とコミュニケーションをとるのに抵抗をもつのが「コミュ障」で、コンプレックスをその人なりに分解して再生可能エネルギーみたいなのに変換して鍛錬した結果コミュニケーション能力を身に付けたのが「リア充」で、コンプレックスにフタをして見て見ぬふりをして、その隙により弱そうなやつを封じる動きが「暴力」。それらをひとつひとつ消去していくと、多く見積もっても世の中に2割の心も残らない気がする。でもコンプレックスから人への優しさや慈しみというものも生まれるものだと思うので、それを利用して自分の心を育てることができたらいいなと思う。糞だまりが肥料になるみたいに。あと、少し話は戻って暴力もコンプレックスから生まれたものだと思うと少し愛おしく、むしろ護ってやるべき対象に思えてくる。世のゆがみは別のゆがみから生まれるものだとすると、もはやどこから続いてきたのかもわからないドミノ倒しのような惨状でときには憤懣やるかたなく感じられるが、それらを一個一個立て直すのも世の中に散在する「心の強い人」の役割かもしれないと感じるし、時にはボランティア的にそういった役割を担うことも必要そうな気がする。まあそういうのは派手にじゃなくて勝手にコッソリやっとけっていつも思うけど。

5連勤から1日の休みを挟んでまたお盆の5連勤とハードなスケジュールで、では貴重な1日の休みである昨日はどう過ごしたかというと以下の通りです。まず先輩とラーメン二郎札幌店に行って、大通の仮設トイレで下痢をして(二郎を食べると必ずくる)、昼2時くらいからビアガーデンに行って2人で2500mlのデカイ樽みたいなやつを空けました。ハトに餌付けして、大通公園のきたねえ池に足を突っ込んで涼しくなったのち、地下鉄で札幌ドームに行って野球を見たのですが、ビールのせいで4回くらいから爆睡してしまい起きたら日ハムが勝って花火がバンバン上がっており綺麗だなあと思いました。全く試合展開わかんなかったけど一応喜んで地下鉄で帰宅し、その後に布団で寝ました。一人でドライブするのの1.5倍ぐらい充実した休日が過ごせてとてもよかったと思います。

きょうは母からLINEで墓参りした旨を知らされて、そういや今日は8月13日だったな、と思い出しました。墓参りに行くたびに父の墓にはなぜか青々したカエルが現れるそうで、何も思わなければ別に何でもない話だけど、一歩連想すれば少しロマンのある話じゃないですか。祖父は丁度僕と63年違いの昭和二年生まれなので、今年で87歳になりますが好きなファミレスは秋田市内にあるビッグボーイ。よく大俵ハンバーグとサラダバーを注文してるらしい。内臓の強さ的にあと30年くらい死なない気がしますが、祖父が生きているうちにひ孫の顔を見せたいと思いますので、なにとぞ援助のほどよろしくお願いいたします(これはやましい意味です)。