beautiful and wonderful

愚痴を書くブログ

涅槃

この前まではエネルギッシュな人や意識の高い感じの人がとてもうとましかったが、心が穏やかになったのか最近は落ち着きつつあります。休暇中に三陸の海沿いの大きな観音様のところに行って、内部に格納されているいろんな観音様を拝んできたのが効いているのでしょうか。このように宗教が身を、心を穏やかに幸せへ導いてくれるのならば、よくわかんないけどそういう道の活動を積極的に行い、将来的には仏の道を進んでいきたい所存であります。

望むところはみんな幸せであることだけれども、それをどうとらえて、どういう行動に反映させるかが好みで違っていておもしろい。幸せのハードルの高さに絶望して諦めた人は不幸そうな感じの雰囲気で暮らしているし、手が届く程度の幸せに安住している人は、そこから離れないか、それを保つために精一杯努力をしている。意識の高い低いも同様で、夢を追いかけるあまり出現するいばらの道をゆく上で安心をするために、つい人を踏み台にしてしまうみたいな態度がうとましいと感じるのかなあと僕は思いました。

社会に出てバリバリ活躍することを夢見る学生は、怠惰な学生を怠惰であると見下し、自分こそは社会で活躍という幸せをつかめるよね。そうですよね。となにものかにすがるようにして安心を勝ち取る。それで準備活動などのようにして社会人のまねごとなどを必死で行い、自分なりの夢を追いかけている。一方でまねごとをされる側の社会人の一例としては、家に帰って寝たいという夢を追いかけて職場でフォークリフトを走らせている者がいる。両方が幸せに向かっている。