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愚痴を書くブログ

めざめ

僕は生まれつき手先が不器用だったのと、運動もそれほどできる方ではなかったので幼少期はきわめて地味に日々を過ごしていました。幼少期の社会の中での立ち位置は工作の上手さか運動神経の良さかの2軸で決まるようなところがあると思う。僕に関しては、折り紙を折ったときは同い年の子たちが作ったものより格段に不細工で長くは飛ばない飛行機が一応は完成し、工作をすればまともな作品ができない代わりに糊ばかりが人の倍ほど減っていた記憶があります。鉄棒も雲梯も好きじゃなかったので、自分からはほとんど触らずに過ごしていたら幼稚園の先生から「積極性がなく腕力が極めて低いです」という内容のコメントが親向けの通信簿かなにかに記されていた。幼少期の周囲からの刷りこみがその後の精神的発育におよぼす影響はきっと多大なものであります。出来損ないだと面と向かって言われた記憶はないけれど、幼稚園という社会で自分の立ち位置を何となく理解したら、自分は人より数歩出遅れた人間なのだという認識を持たずにはいられなかった。

ともあれ、幼いなら幼いなりに親の期待には応えなければという意識とプライドがあるので、自分には不器用でも地道に努力する道しかないのだなと理解し、小学校では真面目に先生の言うことひとつひとつをすべて聞くようにしました。いわゆる「優等生」になりました。周囲からは毎日もてはやされるし、それなりに女の子からもモテるのだけれど、もともとが劣等感に由来するものだったので周囲からの評価は本質的には妥当ではないと思っていた。そもそも僕はそんな格好良い人間であるはずがないのです。なにせ紙飛行機もまともに作れず、運動神経がないから。でも人から褒められるのは悪い気がしないので、なんとなく半分だけ受け入れつつ、もう半分はマヤカシだと思いながら過ごしていました。

ここで急ではありますが、性のめざめに関する話をします。ハッキリとたとえばこの時点から勃起をするようになりましたみたいな記憶はないですが、ひとつ覚えているのは「ダウンタウンのごっつええ感じ」を家族でみていたら、エンディングで浜田雅功がオモチャの刀みたいなので他の出演者を次々に斬りつけて、斬られた人たちがすごいオーバーなリアクションで死んでいくみたいなのを見て、なんか興奮した記憶があります。たぶん6歳か7歳くらいのときの話で、それが性に関する最古の記憶。浜田雅功が性のめざめというのがなんとも恥ずかしいので、ここで初めてカミングアウトしました。手先が不器用で運動もできない僕はというと、社会的に見れば明らかに斬られる側で、むしろ完膚なきまでに斬られるのを見るのがこんなに爽快感のあるものなのかと若干6~7歳にして感じ、とても脳が痺れました。どんなにベッドの上で野獣を演じても、奥底はマゾなのだと思います。

時が経ち齢24になった今も、弱い者を守るみたいな「本来の男らしさ」はたぶん僕にはすごい欠けていて、どちらかというと自分より強い者に惹かれるみたいなところがある。一見強く見える女性がたまに見せるか弱さに惹かれる!みたいなそういうありがちなものではなく、本当に、本当~に、額面通り「守ってほしい」という願望。いっそ女性の願望に近い。でもめったにそんな出会いはない(ということをここ数年で学んだ)のです。男女間の役割分担は確かに存在するので、男女平等などというのはあくまで政治的な口実にすぎず、いざ実現しようとすると絵に描いた餅なのだと、こういう時に思います。それでも、一瞬たりとも目を離さずにいると見つけられるしたたかさを見逃さなければこんな僕にとっても魅力的な異性というものは十分に見つけられそうな気がするので、僕はなかなか粘っこい人間だと思います。だから、まあ、そういうこと。そういう感じで。