beautiful and wonderful

愚痴を書くブログ

私は風

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ひとりぼっちも気楽なものさ。

 

中学生の時の同級生とひょんなきっかけで会ってしっかり話をする機会がありました。9年ぶりぐらいに。9年前の出来事にまつわる記憶というのは、9年間かけて深まった記憶の海を潜った先にあるわけではなく、案外すぐに取り出せる場所に常にあって離れないのだなと感じました。6年前の記憶も、9年前の記憶も、12年前の記憶も、背後霊みたいに付き纏って今日の私に教えをもたらす。そうやってつらかったことやショッキングだった記憶が今日の自分を形成しているのは否定できない事実だと思うけれど、それらを好きな量だけ取り出して単なる過去の笑い話にだけしてしまえるから、その分だけ逞しくなったし、ある意味で非情になったのかなとも思う。過去の関係でも、頻繁に会う間柄では会っても毎度毎度当時の話題を繰り返しては楽しんでいるらしく、共通の思い出というのは擦り減らず色褪せない最高のエンターテインメントであり、純粋に羨ましいなと感じました。

先週の金曜日は朝に日本の最果てにある根室というところで目覚めて、車で寄り道をしながら下道で14時間ほどかけて家に帰りました。もはや帰るというひとつの娯楽。昼に走るのと夜に走るのは違う魅力がありました。大体の楽しいものや美しいものは昼に現れるので目的があればそこに向けて急ぐのだけれど、夜は夜で果てのない瞑想の海みたいなところを時速60キロで深海魚みたいに漕ぎ続ける。トランスミッターで接続した音楽プレーヤーの電池がゼロになるとラジオに切り替える。夜のラジオではパーソナリティも眠気のせいか不在で、仕切る人もいないままわけのわからない音楽が次々に繰り出されるのが良かった。私に眠気というものが無ければ、きっと24時間運転をし続けていることだろう。ただ燃料も有限だということは心の片隅に留めておきたいと思いました。

手に取っただけでは信じきる度胸が無いから穿った見方をする。ストレートに受け取るのが照れくさいから捻くれたふりをする。旅は道連れだが、道連れにする相手がいないから一人で旅に出る。世間一般のいう素晴らしいことに則って素直になんでもできちゃうことには強さがあり、その逞しさをひそかに感じているから余計に捻くれるしか道がない。SNSくんだりまで出張して重要なことを報告する必要もないと思うから、いつも風みたいに無表情な言葉だけを置き去りにする。

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