beautiful and wonderful

愚痴を書くブログ

温情の原価

昼を過ぎても気温がプラスに戻らないまま一日を終えてしまう日が長く続いて、ラジオが言うにはこの北海道という島のどこを探しても一瞬でもプラス気温を観測した地域がなかったという。さながら巨大な冷凍庫のようで、人間が生み出した家庭用冷凍設備でやっと少しばかりの空間を冷やすことができている文明の現状に対し、自然の力とは、地軸の傾き如何でこんなにも圧倒的な空間を冷やす能力のことを言うのかとほとほと感心する。あと生まれて初めてマイナス20度近くの気温を体感したけれど、感想としては「マイナス5度もマイナス20度も大差なく、いずれも寒い」。

年を改めたわりにはなんの実感や心境の変化もなかったのは大晦日も元旦も続けて仕事をしていたせいか。「お正月は営業してますか」というお客様からのお問い合わせの電話を取ることも何回かあったし、営業してますと告げると「お正月から大変ですね」と労いの言葉を頂戴することもあった。日本社会全体のスケールから見ると、お正月から仕事させられるなんてまあ大変なことねえというのが一般的な感想なのかもしれないが、1月1日の職場という狭い世界の中では、出勤してきた全てのメンバーがごく普通に職務をこなしており、ことその世界の中で普通に職務をこなしているメンバーの一人である私にとってみてもその中で仕事をしていることはなんら不自然なこととは感じなかった。これがおそらくは麻痺や洗脳というものの基になる原理で、同じ特定の常識をもった人たちが集まる共同体にたまたま異なる常識を持った人を放ると、彼の常識が大多数のそれに否応もなく染め上げられてしまうという。ときに人間とは状況次第で、自分の歩む方向を周囲の声のせいで見失ってしまうという点で愚かしいと思うし、そのせいで積み重ねてきた失敗のエピソードには事欠かない。ほかの全員が右を向いていたら、たとえ自分自身が左を向くのが正しいと思っても、きっとこの場合は右が正しいのだと身を隠す。あと大きな声にも至極従順。さて話をお正月に戻せば、結果的に私がお正月働いた分の日数だけの休日(補償、といわれるかもしれない)はあとでもらえて、かつお正月に相当するように1月中旬に8連休が貰える。そういう事情もありお正月を「失った」ことに対して何の失望感もない。職場という枠に篭っていた代わりに、お正月という枠からは解き放たれた様子だ。

昨年の反省や新年の抱負などをSNSで公表する諸兄もチラホラ見られ、私は仕事にかまけてそういった俯瞰的な行為を全くしていなかったことに気付いたが、考えてみても年単位で反省することも抱負するものも全く出てこなかった。きっと年という括りに興味がなくなって、代わりにもっと小さい単位として、一日をどう生きるか、ないしは、一瞬一瞬をどう扱っていくかという点に関心がある。年単位で抱負を掲げてみたとしても、自分のことだからどうせ節分のころには豆と一緒に撒いてしまってはどこかに置き去りにしている。現に2014年の抱負がまったく思い出せない。昨年末ぐらいからの継続的な抱負として挙げられそうなものは少しばかりあって、照れくさいのでここには改まって書かないがその具現化の手段として今日一眼レフカメラを購入したので、2015年から2019年ぐらいまでにかけてはたくさんの風景画を手中に収めたい所存。

原油価格が圧倒的な値下げを披露してくれて車を運転する身としては極めてありがたい。と同時に、今後数十年にわたってチョコレートの価格が高騰する目算らしい。若いころはバレンタインという儀式があって、と語る将来の自分の姿がちらついた。もしくはチョコレートに代わる何か別の物品を交換する儀式にすり替わるであろうか。いずれにしても、わざわざバレンタインなど設けなくても愛する人には一年中施しを与えるような心意気を持っておきたいと思いませんか。値引きなんか要求されなくても、一年中身を削る思いでギリギリのセール価格で提供している。どれだけ元値から値引きされているかより、元値と品質が釣り合っているかにもっと注意深くなってほしい。