beautiful and wonderful

愚痴を書くブログ

愛のスイッチ

義務感で続けていたことは、その義務が途切れると一切手を触れなくなるものらしい。きっともともと走ることなど好きでもなんでもなかったのだ。高いランニングシューズだけ何足も捨てられず家に保管してある。かえって大学から走る習慣を始められた諸兄姉のほうが卒業した今もコツコツとジョギングなどを継続しておられる様子である。かたや中学から10年もの間、習慣とパーソナリティーとプライドの拠り所として走ることを位置付けてきたわたしは、就職を機にジョギングをすることはもはや一切なくなった。たまに調子を整えるために走ってみようかと思うことはあるが、思うだけで一向に実行することはない。久しぶりに走ることでいかに身体が劣化したかを知らされるのが怖いからというのもある。

プロ意識というのがあるらしい。仕事とプライベートを完全に分断する姿勢がそれで、元々はそんなのは憧れにすぎずバカの寝言だと思っていたが最近は例外もあると感じている。プロ意識は脳裏に浮かんでは渦巻くさまざまな誘惑や煩悩のなかでパーソナルな部分をすべて捨てて、仕事を最も効率的に進める方向にすべてを傾けて選択を進める姿勢のことだと捉えている。もともとそれをバカにしていたのは「仕事とプライベートは分けたい」と言っている人たちが彼らのいう「仕事モード」に入ったときに、果たしておのれのパーソナルな欲求を一時的にでも完全に捨てる覚悟があってほざいているのかと疑問に思ってたから。それが一転してプロ意識に敬意を払おうと思うようになったきっかけは、身近でプロのON-OFFを徹底して貫いている人の仕事ぶりを拝見して、これには敬意を払わざるを得ないと感じたこと。その人のパーソナルな部分を同時に見ているからこそ、ふたつの性格の断絶している様子だけではなく、同じ人間の連続した行動の中でこまめにON-OFFが切り替えられているという連続具合に感心したといえる。わたしもパーソナルな都合を捨て去る動機になるだけのボーナスが入ったので、清いプロ意識をもって仕事に臨みたいと思います。

公衆トイレに立ち寄ったら8Lバケツに「オムツ入れ」と記載してあり、オムレツか?と思ったらオブツらしい。店員にゴネる客はだいたい中年以上。世代のせいか、時の流れが人をそうさせるのかの2通りが考えられるが、後者のほうがしっくりくる気がする。年期が入ったという根拠だけで横柄になれるようになってしまうというのが人の性なら切ない感じがするけど、そういうものですか。睡眠薬とアルコールは危ないから絶対に併用しちゃダメと言われた。半年前に教えてほしかった。それでもわたしはかろうじて二本の足で立っている。不在者投票に行かないといけない。滞納していた光熱費を払わないといけない。生活もプロ意識で立てられたらよいのだが、いかんせんサラリーの支払われない場面で「ちゃんとする」だけの精神のエネルギーがないからどうしようもない。