beautiful and wonderful

愚痴を書くブログ

8月3日

8月の3日です。8月3日といえば世間の若者一般的には夏休みのど真ん中なんですけど、僕は日々仕事をしています。家から車で2時間ぐらい走ったら、すんげえひまわり畑があるらしいので見に行こうかと思ったら、休みと一緒に台風が来るそうなので計画が45°傾いた。そもそもどこ行くにも一人だしなあ。そういうわけで、焼き鳥を食ってビールを飲むぐらいしか夏の楽しみがない。焼き鳥にビール、最高!!だけど、それって9月とか10月でもできる気がする。とりたててその行為によって夏を感じる!!って感じではないような感じである。

でもこういう考え方もあると思うんです。すなわち、「世間一般的に言われてる夏の風物詩的なものって、本当に自分にとって価値のあるモンなのか?」って。海水浴にバーベキューにロックフェスにビアガーデンに花火大会など、夏を彩ってくれるイベントというのは各地でいろいろ準備されてて、いかようにも夏を満喫する手立てはあるんです。けれど、そこに参加するか否かという問題と、それが自分を楽しませてくれるかどうかっていうのはまるっきり別のはなしなんじゃないかって思うんですよ。もちろん100パーセント楽しめる人は良いと思うんです。夏イベント網羅したし、俺の今年の夏は完璧だぜ!!的な。

でも「楽しい」って「思わされてる」側面もあると思うんです。「花火大会に参加してる自分は間違いなく楽しいはず」、あるいは「ロックフェスに参加してるんだから、せいいっぱい満喫して帰らないと」みたいな強迫観念。「楽しむ」ことに夢中になりすぎて逆にそれって「楽しい」の?って自分自身に問いかける場面というのは確かにある。例えば、花火大会に参加しているうちの何パーセントの人が何(具体的には「こんな楽しい場所にいられて、楽しいと思えないのはおかしい」という邪念)にも邪魔されず、純粋に「楽しい」って感情で花火を見れてるのかなって思うことがある。

こうした夏の風物詩的なものってブランドみたいなもので、これさえおさえておけば夏は完璧!!みたいな安心感を与えてくれる用心棒みたいなものだと思う。でも用心棒があったところで100%安全とは限らないし、ビアガーデンに参加しなくても、家のベランダでビール飲んでてそれで幸せだな~~って思える人だったらそっちのほうが安上がりでいいんじゃないかなと思いました。

 

アー ホームランボールは 飛んでくるはずはないから

フィクションに踊って 子供のふりして

くるり「ホームラン」 

 

なにひとつ夏を満喫できておらず悔しいので、ひねくれたエントリをぶちあげました。本当のことを言えば僕もビーチに行って酒を飲んで夏を満喫したいんだけど。

余談ですが昨日、会社の上司に「500ml6缶で695円のクソ安いPBの第3で順応したら、経済的で、金欠でも毎日飲めてます」って話をしたら「かしこいね」と言われました。この話をすると反応は二種類で「かしこいね」か「バカみたいだね」のどっちかです。