beautiful and wonderful

愚痴を書くブログ

キラキラしたい

わたしはこのまま真っ当に生きていれば世界の主人公になれると根拠もなく思いながら生きてきたが、どうもその認識が間違いだったようだという思いがここ数年で強くなってきた。高校球児が年下になり、箱根駅伝のランナーが年下になり、オリンピック選手が年下になり、映画の主演を務める俳優が年下になった。このままいくと近いうちに政治家あたりを追い越すであろうと言われている。かつてわたしもあれぐらいの年齢になったらあんな風にキラキラできるに違いないと根拠もなく思いこんで、歳を取ることに漠然とした期待感があった。同じ時期、周囲の大人は自分の誕生日など楽しみではないと言った。最初はその意味が分からなくて、小学生に上がったくらいから「老い」のマイナスイメージをテレビとかでなんとなく学んで、なるほど大人は爺さん婆さんになり、見た目に魅力がなくなり衰えていくことを恐れているのだなと思った。もちろん衰えることは恐ろしいが、ここに来て思うことは、わたし自身が果たして華やいだ世界やキラキラした姿とは縁もないまま歳を取って死んでしまうことへの恐れ、ないしはキラキラするために努力できるタイム・リミットが刻一刻と迫っているという緊迫感である。

キラキラするという目標はボヤッとしすぎていて具体性に欠けるのでそのために何をどうするという道筋が立てづらいが、逆にどんな道筋で何をしようと結果的にキラキラしていれば正解になるので自由度は高いと思われる。大人になるということはそうやって高い自由度を獲得するということなので子供時代からしたら長年の悲願だったはずだが、あまりの自由度の高さに怯んでしまったのが現実で、自由とはわたしの手には余るものであった。自由の中で泣いて笑って精一杯生きることは至難の技であった。そして最近気づいたことは、オリンピック選手も俳優も政治家も、有り余る選択肢の中から一つの道を選んで、他のほとんどは諦めて覚悟を決めて突き進んでいるに過ぎないのではないかということ、そして自由の海を泳いでいく上で最も必要なのは諦めと覚悟なのだろうなあということです。

わたしにはまだ覚悟がなく何にも諦めがつかないので流されるままに日々をめくっているが、このままいくと永遠に時間を浪費する結末が見えるのでどこかで選択をする必要があると思う。まだ20代なので時間はまだまだあるが、もうすぐ30代なので油断すると取り戻せなくなってしまう。最近のサッカーの国際試合で、均衡を破る値千金の一発を相手ゴールにねじ込んだ選手がピッチ上で喜びを爆発させるのを見て、こんな瞬間がわたしの人生にも欲しいと本気で思った。これから1,2年は覚悟の年になると思う。あのサッカー選手がこれまで陽の当たらない場所で黙々と鍛錬を重ねてきたのと同じように、常にそうであるとは言えなくても、少しだけでもいいので、世界の中心を感じられる瞬間が欲しい。