beautiful and wonderful

愚痴を書くブログ

几帳面が賢い

消費税が8パーセントになってから3週間が過ぎました。駆け込み需要があったり増税後の冷え込みが心配されたり、増税前の数週間はそれこそテレビで「増税」っていう言葉を聞かない日はないぐらいだったんですけど、いざ増税してみて実際にどうなったかと言えば別に大きく感覚が変わったわけではなく、ちょっと計算が煩雑になったぐらいかなと僕は感じています。

105円だったものは108円になり、525円だったものは540円になり、3,150円だったものは3,240円になり。全く同じものを買うのに、買う時期が早いか遅いかによって払うお金が変わってしまったのが増税の影響によるところなんですけど、なんですけど、僕の感覚としては大した影響じゃねえなっていう。もちろん、大きい買い物であればあるほど額の違いも大きくなりはするんですが、それにしても、たとえば73,500円だったものが75,600円になったところで、それが大きい買い物であることに違いはないし、もはやそこまでいってしまうと2,100円の差って大したもんじゃないなって感じてしまうんです。だから、増税したところで節制しようとか考えはせず、増税前と変わらず普通の消費生活が続いています。

ただ、僕の財布から「税金」として国へ吸い取られる額は、それがたとえ感覚にうったえるような大きな数字ではなかったとしても着実に増えているわけで。そこで思うのは「几帳面が賢い」ってことです。僕みたいにずぼらな人間は、1回の買い物で3%分多く払うことになったところで全然気にしないんですけど、買い物の回数を重ねるごとに実数としては徐々に膨らんでいき、塵も積もって山となり、1か月、1年、っていうスパンで見た時にわりと看過できないような大きい額になっていくと思うんです。それが数字でドンと示された時には、さすがに僕みたいなずぼらな人間でもそれを看過することはできない。できないんですが、そもそも「几帳」しない「面」の人間なので、それが「数字でドンと示される」機会がないので気付かない。気付かないうちに多額の税金を払わされている弱者、それこそがずぼらサイドの消費者なんです。

だからできるだけ「几帳面」で「賢い」人間になりたいんです。なりたいんですけど、大学1年生の4月1日からひとり暮らしを始め、帳簿を付け始めたとき、もう細かい記帳に耐えきれず4月18日を最後に途絶えてしまった苦い経験があります。その経験から以降「帳簿アレルギー」を発症しており、とてもじゃないですがレシートをストックするとかそういうのができません(なんとなくしまっておいたレシートで財布がパンパンになることはよくありますが、帳簿が目的ではありません。こまめに捨てないだけ)。だから、増税で少しずつ着実にお金が吸い取られていることを「数字でドンと示される」機会は、僕には永遠に来ないと思います。

まあ、もう今さら直せないんじゃないかという気がしてきたので、ずぼらはずぼららしく生きていきます。なんたって少しばかりの高額納税者ですから。少しばかりの高額納税者としてのプライドを持って、(裏を返せば)些細なことも気にしない大らかな人間、十数年ぶりの増税にすらうろたえない野太い心を持った人間として、正々堂々と生きていきます。