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愚痴を書くブログ

誰とでも飲むマン


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酒を飲むといやなことすべて忘れられるので、身体を悪くしない程度に日常的に酒を飲み続けたいと思っている。それで、とうとう酒好きの極みでビールをケース買いしてしまった。いつもの3缶を飲んでもまだ21缶ある。21世紀はすばらしい時代だと酔っ払ってつくづく思う。単純計算で7回分。願いよかなえラッキーセブン。でもこれでたったの7日分かァとも思う。

人から認められたい欲求が高い性格の人の人生は、いばらの道そのものである。認められたい欲求が高いということは、逆に周りからの承認がなければ元気に生きられないということを意味するんだけど、たいていの人は周りのものごとに自分のこと以上には興味がない、もしくは考える余裕などない。だからだいたい周りは認めてくれないし、ゆえに認められたい側の欲求はおうおうにして果たされない。

承認欲求などとインターネットで小バカにされても、そうやってうまいこと承認されながら育ってきたがゆえの習慣なのでもはやどーしようもない。そもそもたとえばSNSなんて、いいね!ボタンで承認欲求が満たせるおもしろさが受けてみんな始めたものなんだから、小バカにするくらいならSNSやめろバカという話である。話が横道にそれたが、なかなか承認ってされないものだし、人生の荒波とは凄惨なものだなと思いました。仕事というものをしてみたらわからないことの連続なので、自分なりに突き進んでみたら勝手なことをするなと怒られるし、何も考えず指示に従おうとすると指示を待つなと怒られる。なかなか人の思い通りには動けないものである。僕のような承認欲求のあり余った人間は、怒られてばかりだと面白くないし困るし、気力が出ない感じになるのでちょっと大変。自分で自分自身を褒めてあげたり承認できる人、もしくは周りの評価とかを気にしないでマイペースで生きていける人はそれだけですごい才能だと感じました。

人と人との出会いは貴重だと口先だけでは言えるが、その意味合いは発する人の経験如何によってぜんぜん違うものだと思う。責任というものがある以上、責任者は間違いを正す義務があるので口を酸っぱくして指摘をし続けなければならないものなんだけど、単純にそれを繰り返されると僕のような人間はついていけないのです。だからそういう性質を理解して、怒るばっかりじゃなくいいところをいいところとして見て伸ばすような姿勢を見せてくれると意欲がブチ上がるのである。怒られ続けて意欲がガンガン下がり続けていたことにも気付いた。上司からすれば精神的な余裕のない中で褒めろというのはたいへん難儀だし、ふところの広さが求められるところであるが人生の規範となる見本が増え、そこを踏まえて改めて、出会いは貴重だなあと最近強く感じた次第であります。

人との出会いのためにと言い訳をつけてもはや僕は誰とでも飲む。今日気付いたのだけれど、500ml缶のワンケース24缶の価格より居酒屋でべろべろまで飲む方がよっぽど高い。自身の調査では1.7倍くらい違う。でも誰とでも飲む承認欲求マンは、同じように誰とでも飲む男や誰とでも飲む女などに囲まれて日々楽しく飲み暮らしている。僕のことを承認してほしいと思うのもそうだけれど、飲み相手のライフスタイルや、趣味や嗜好や興味関心をじっくりと眺めることにも努力しようと思った。そこから相手を承認する面白さに気付いて、自分自身が人生の規範にすこしでも近づけるかなと思ったから。