beautiful and wonderful

愚痴を書くブログ

宗教

最近、とりわけ就職してから、「人生の目的って何だろう」とか「生きる喜びって何だろう」などと思いを巡らせる機会が多いのですが、近頃の答えはシンプルで、自分の感性が受け入れるものを素直に受け入れて、受け付けないものからは静かに距離を置くことなんじゃないかなと思います。何かを攻撃したり、卑下したり、逆にみだりに依存しすぎたりするのは、「いい生き方」からは遠ざかる行為だと考えています。当ブログをさかのぼれば何かとそういう話題を持ちだしていることがお分かりになられると思います。

で、同じように人生の目的とかのテーマについて考えてる人たちってこの世にいっぱいいると思うんですけど、その考えてみた結果を共有してる集団みたいな人たちのことを、簡単に言えば「宗教」と呼ぶのではないかと、足りない頭で推定してみたわけです。そこで、現在日本で信仰されてる宗教について興味を持ったので、休日を利用してちょっとだけ調べ物をしてみました。

まず、そもそも日本人の多くは神道か仏教を信仰している(ことになっている)ということがわかりました。平成19年時点で神道は1億700万人、仏教は8,900万人の信者を抱えているそうです。

(出典:http://www.mext.go.jp/component/b_menu/other/__icsFiles/afieldfile/2009/07/10/1245820_005.pdf

計測方法が杜撰だということが指摘されているそうですが、それにしても日本の人口1億3,000万人に対してこの数字とは、実感に比して極めて圧倒的なものです。なぜそのギャップが生じているかというと、おそらく日本人の生活の中で「信仰」が指しているのが、例えばお正月に神社でお参りするとか、冠婚葬祭のスタンスが先祖代々伝わるものであったりとか、そういうイベント的な場面で突如立ち現れるものなんですね。そこで大多数は特に宗教の教えを意識することはなく、あくまで「イベントだからそういうふうにやる」と捉えているような実感があります。事実、ある調査では75%の人が「宗教は信じない」と答えているそうです。宗教は信じてないけど、その行為だけは無意識にイベントとして広く定着しているという矛盾こそが日本の実情です。

(出典:宗教信じない75% 神仏すがりたい54% 読売新聞が世論調査 : 社会 : クリスチャントゥデイ

それで、仏教や神道の教えが複雑で分かりづらいっていう現代人のために、それらをより分かりやすい形に噛み砕いて教えを説いてくれるのが「新宗教」または「新興宗教」というものだそうです。19世紀以降に発足した宗教は主に「新宗教」と呼ばれるもので、そのほとんどが既存の宗教から影響を受けて成立したものらしいです。

これら「新宗教」と呼ばれるものについても、古くからあるものについても同様で、(ある一定数以上の支持者を集める教団、という条件下で)共通しているのは、「自分の人生を、ひいては暮らしている世界を、よりよいものにしてくれる教えを信仰することで救われたい」と願う人々の集団である。ということがなんとなくわかりました。ただその中でも、他の宗教に比較的理解がある集まりの人たちもいれば、そうでない人たちもいるわけで。そういう宗教間の摩擦、ひいては社会全体との軋轢が確かに存在していて、それらが人々の宗教に対する目をちょっと厳しいものにしてしまっているのではないかなと思います。

立正佼成会」という日本でもかなり規模の大きい新宗教があるんですが、「教えて!goo」で宗教についての考え方に関して興味深い投稿があったので以下に引用します。

佼成会会員の娘です。

わたしは、信者ではありませんが、成人するまでは、親の監督下ですので、

教団と深く関わっていました。

 

まず、ひとつ言って置かなければならないのは、

たとえ宗教団体でも人の集まりです。仏様を敬っていても、ふつうの人間です。

諍いを起こしたり、間違いを起こしてしまう人もいれば、

思いやりを持って、誠実に仏に学ぼうという人もいます。

つまり、平たく言うと、佼成会は、「仏教サークル」です。

「カラオケ」が好きな人が集まれば、「カラオケサークル」ですが、

「仏教の教えと庭野さんの考えが良いと思う人のサークル」です。

サークルなので、合宿(団参)や勉強会もあれば、お茶会や座談会・お祭り・ボランティア活動(ユニセフ街頭募金など)もあります。

 

カラオケサークルには、ロックを狂信している人もいれば、ただ歌うのが好きな人もいるように、

「個人の解釈で、教えの受け取り方も、人への勧め方も様々です」

「ただ拝めば良いことがある」という人もいれば、「良いことをすれば、徳がつまれて良いことがある」と思う人もいれば、「人に会うことが好きだから通っている」という人もいるし、「悩みを聞いてくれる人がほしい」という人もいます。また、「本当に自分の成長を目的にしている人」もいます。そして、一部に「コレは絶対であるから、人に勧めることこそ善行である、と信じて疑わない人」も当然、巨大な教団には現れてしまうのは事実です。

でも、それを不快だと思った時には、話せば本人に戒めてくれる人も、

教団にはちゃんといます。

だから、ひとつの教団と言っても、多くの人の集まりであることは忘れないで下さい。

彼女がどのような人か、見極めるのは質問者様自身です。

 

それと、家族が誘われることがありますが、断ることは自由です。

ご自身が信仰されないかは、ご自身と彼女の問題です。

彼女が強要しない方なら、何の問題もありません。

もし、自宅で、彼女が他の方とお供養をしたいという時は、家に居なくてもよいのです。

ちなみにわたしは、人様に自分の先祖を供養してもらっているので、

せめて同席しようと、郷に入れば郷に従えで、その場だけ読経しますが、

普段は関わりはありませんし、会員の皆さんにも、

「わたしは、宇宙の壮大な力に敬意と信仰心は持ちますが、無宗教です」と宣言して、

その立場で、お話ししています。

この関係を築くにはわたしの場合、紆余曲折ありましたが、

時間をかければ、きっと相互理解も出来ます。

 

最後に、わたしが、この教団と関わりができたことで得たことは、

自分の考え方の前向きさです。

信者ではないですが、そういう教えを受けていた母に育てられたので、

考え方がシンプルで、他の考え方に柔軟になれた気がします。 

引用元:立正佼成会の彼女の裏の姿が気になります (1/2) - その他(結婚) - 教えて!goo 

日本で暮らしていると、どうしても宗教といえば「カルト教団の熱烈な勧誘に注意!」とか、「○○学会の教徒が事件を起こし…」とか、そういうマイナスなイメージが先行してしまうものです。でも、その教えを紐解いてみると、実は生きていく上で大切な心がけであったり、悪徳とされていることから身を守るためにやるべきことであったり、それこそ揺れ動く現代の中で、人々が身につけていたほうがいい知識なのではないか!と感じ、今日一日で少し宗教に引き寄せられる感覚がありました。さらにこの「教えて!goo」の投稿が言うところの「サークル感覚」っていうのが妙にしっくりきて、それならなんか自分にも馴染めるかも?という親近感めいたものを覚えた次第です。

今のところどこか特定の宗教に入信する、ということは考えていませんが、何か機会があれば、可能性はあると思います。まあ、あんまり人をけしかけて熱烈に誘いこんだりするのが好きじゃないので、入信したところで目的はあくまで「自分のため」で、それによって生活スタンスを劇的に変えようとも思ってないですし、教団の役に立つような信者にはなれないと思いますけどね。ただ、少し信義に触れてみる面白さはあるかなーと感じました。

 

 

追記

ブログのタイトル変えてみました。