beautiful and wonderful

愚痴を書くブログ

オウンゴール、そして小さな冒険について

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先週の雨の日に友人の結婚式があって、小一時間ほど電車に揺られて式が執り行われる街まで赴いた。彼の結婚式は土砂降りの雨になるだろうというのを招待された時からひそかに予想していたが、電車が到着するころには傘もいらない程度には雨が上がっており、直前になってミラクル的な大逆転に遭った格好。さらに挙式が終わった頃には式場の窓からちょうど見える方向、雨上がりの青空がのぞく中に見事な虹が出てきたので、あとはもう披露宴まで完全にハッピーな雰囲気のうちに終了し、私のほうも雨のことなどきれいさっぱり忘れ、クロークに傘を預けたままにしてまた小一時間かけて自らの街まで帰ったのだった。これはサッカーで例えるなら終了間際のダメ押しオウンゴールに他ならず、試合結果としても完全なる敗北、惨憺たるものであった。

コンビニで数百円出して買ったビニール傘など正直なところどうなってもいいのだが、結論としては私はそれを次の休日に自らの足で取りに行くことにした。理由としてはいくつかあって、さきほどの敗北を惨めに感じたことだけではなく、このまま取りに行かなければ数ヶ月間にわたりあのホテルにビニール傘が持ち主不明のため保管され先方に迷惑を掛けるであろうこと、電話で廃棄してもらってかまわないと話すにしても廃棄にもそれなりの手間が掛かるし、こちらの不手際であるのにその手間を先方に掛けさせるのが申し訳なかったこと、そして何より、クロークで引き換えに受け取った番号札を返さなければならなかったことなど。たかだか数百円の傘のために、車で運転していけば何時間と掛かるその時間とガソリン代の存在が私を躊躇わせたが、どうせ家にいたってやることもなくYouTubeを見るか部屋を片付けるぐらいしかすることがないだろうと思い、最終的に時間と費用との問題は私の小さな冒険を抑止するストッパーとはならなかった。

そうはいってもやはり貴重な休日をほとんど潰すに近い形なので、この一見すると「無駄遣い」であることをいかに「無駄じゃない」にするかという論題に非常に頭を悩ませた。その答えとして、①道中腹が減ったら普段食べられない食事のみを選択②美しい風景を見つけたら必ず一眼レフに収める③道中はもっぱらAMラジオを流し続ける、という3つのルールを個人的に設けるに至る。ルールというのは自由な行動を制限されるようで長らく私の嫌いなものであった。場所と立場によっては、ルールなどそこそこにして傍若無人にふるまっても構わないだろうと思っていたが、いろいろあって最近になってやはりルールは大事だなと思うようになってきた。これが歳を取り丸くなるということなのだと思う。今回私は、自分自身の余暇の充実のためにあえて自分自身でルールを設けた。

特に③のAMラジオを流すことには大きな意味がある。普段は音楽を流すし、きっと同世代の人たちも同じように自分の好きな音楽を流しながらセルフカラオケでもすることを良しとするであろう。ただ、好きな音楽を流すことはどこまでも自分が既に知っている世界を楽しむに過ぎず、車内で過ごす膨大な時間をそこに費やすのはもったいないなと思ったので、それよりは古今東西の情報が絶えず垂れ流されるラジオ、それも俗っぽさが薄く、自分の知らない世界に関する情報で溢れていそうなAMラジオを流すことを選択した。これは案の定おもしろく、視聴者応募型の番組なら例えば大阪府の高齢者が年々生きづらさを感じていたり、岩手県の40代男性が料理もしないのに包丁をコレクションすることに凝っていたり、静岡県の中学生が不登校ながら家で将来の夢を叶えるためにどうすべきか自宅で真剣に考えていたりすることをハンドルを握りながらにして知ることができる。突如として政見放送が流れて総理大臣の施政方針を聞くことができるし、1時間おきのニュースでは所詮1時間で世界の情勢など大きく変わらないので、1時間前にも聞いたようなニュースが再度放送される。以上のような楽しみがAMラジオにはあり、私がこれを選択する理由である。

結局3時間ほどかけて辿り着いたホテルに傘はきちんと保管されていて、5分ほど待機したところスタッフの女性が奥のほうから引っ張り出してきてくれた。数百円のビニール傘を手渡してくれる時の笑顔はあくまでビジネス用の笑顔であり、こんなビニール傘一本のためにはるばるホテルまで足を運んできた目の前の人間の思考回路を不思議がる表情でもあり、3時間もかけてここまでたどり着いたと伝えたらきっと驚いてしまうであろう。私としては自分の中できちんとした根拠をもってここまで来たわけなので別に恥ずかしがるべきではないのだが、やはり恥ずかしいので自分からそのことには触れず、ありがとうございましたとだけ言ってホテルを後にした。

往路で下道の最短ルートを使用し3時間程度かかったところ、復路は写真撮影のルールを果たすため風光明媚な遠回りルートを選択した結果5時間ほどかかってしまった。その分ラジオのほうも普段聞けない夕方の時間帯の番組などを楽しむことができたので結果オーライだったが。惜しかったのはトンネルが多く途中途中でラジオが途切れてしまったことと、夕暮れの時間帯にちょうど夕日を背にして東に向かって進んできたこと。できれば夕暮れは西に向かいたかった。なぜなら青春っぽいから。いつだって夕焼けの時間帯は西に向かいたい。だが私もそれなりに疲れて早く帰りたかったもので。いつだって私の頭の中は綱引きのように2つの利益が浮かんでは戦っているような気がする。仕事だけじゃなく休日もそう。だが自分は一人しかいないから、どちらかを選んでどちらかは捨てていかなければいけない。自宅で過ごす休日の時間が恋しい反面、本当に一日を掛けて一本のビニール傘を取り返す大冒険になってしまったのもこれはこれで充実したもので、こんな休日も貴重だなあと思った。だから傘をうっかり忘れた雨の日の自分を恨んだりはしない。考え方ひとつで人は寛容になれるのだ。ただ次の休日はもっぱら寝て過ごす方針だが。

幸せになりたい

大学時代の友人の結婚式にお呼ばれしたので参加してきた話。

会場は東京近辺と聞いていた。乗り越えるべき2つの壁がある。私が住んでいる街は首都圏から遠く離れた日本の北の果てのほうにあるため、東京で執り行われる式に参加するためにはまず航空券の手配が必要。ゴールデンウィーク期間ということもあって、その手配は難を極めた。結局、二度キャンセル待ちをしてようやく定価より安いチケットが取れた。そしてもう一つ必要なのが仕事の休みを取ること。大学を卒業した時に私はよりによって不定休の職に就いてしまったため、普段世間が休んでいる週末にも通常通り朝の時間に出勤している。東京で週末に行われる結婚式に参加するためには最低でも1泊2日の休みを取らなければならず、恐る恐る休みの申請をしたものだった(2日間の休みを申請したところ上司の厚意で3連休になったのは泣けるくらいいい話なので、心ある方は一緒に泣いてください)。

こうしたハードルはあったが、それでもなお友人の結婚式には参加する意味があると思い、関門は全てクリアして参加する判断を下した。そして今は式を終えて、参加してよかったと心から思う。

まずは大学時代の友人に3年ぶりに会ったこと。3年という時間が経過したはずなのに、口を開けばたちまち心は3年前に戻ったかのよう。大きな時間の流れがあっても、我々の間に横たわる空気はまったく変わってはいなかった。確かにそれぞれの社会的な経験が当時から上積みされていたり、置かれている境遇が大きく変わっていたりもするけれど(中には新卒で入った会社をすでに退職して新たな道を歩んでいる者もいた)、それぞれの人間の根本はそんな簡単に変わらないものなんだとそこで気付かされ、妙な安心感で胸が満たされた。

次に、人ってこんなに幸せになっていいものなのかという衝撃。「5年間の交際を実らせゴールイン」というだけでもかつて流行したスラングを引用すれば“爆発”に値するだけの幸せエピソードだと思うのだけれど、二人がずっと大好きだったテーマパークを借りて、多数の友人知人親族の方々に見守られながら盛大に式を挙行する、それ以上の幸せな人間の姿というものを私はうまく想像することができない。

そしてこれは全く不謹慎なことかもしれないのだけれど、友人の新郎がこれだけ幸せになったのだから、私ももっと幸せになっていいのではないか?という疑問も私の中に芽生えつつあった。私の知る限り彼は一般的な市民であったが、憧れに憧れてそのためにいろいろ努力した末に、果たしてそこにこの上ない幸せを引き寄せることができた。何をどう努力したかは知らないけれど。これより、私が何らかの幸せを得るために必要なことは何らかのぼんやりとした“実力”ではなく、①憧れる姿を明確にし②そこに至るまでのプロセスを明確にし③それに従って日々行動すること、この3点に尽きるのではないだろうか。強いて言えば、その3点を粛々と実行するまさにその“実力”なのかもしれないけれど。いずれにせよ、そうやって考えれば私も幸せな友人の姿を指をくわえて見ているだけではなく、いつかは幸せというものを手繰り寄せられる、その道筋が実線となって見えるような気がしてきた。

そういうポジティブな気分で見ている私と、憧れの舞台の上にいる彼らと、祝福するギャラリーの三者が同時に揃うその場所は間違いなく煌びやかで美しく、妬みやつらみなどが入り込む余地などは無いため、どこを向いても咎める者も無く、ただただ手を叩きながら酒を飲んでいるだけでその場はOKだった。

式が滞りなく終わって会場を出たら外は雲ひとつない青空で、日は少しだけ傾いてそれでも私たちの影をはっきりと映し出していて、昨日まではどうしようもなく湿った気分で日々を過ごしていた私にもここから明るい未来が待っているのかなあ、などと思ってみた。京葉線で移動して、3年ぶりに再会した友人たちと東京駅で電車の時間まで飲んでからお別れをした。

思い出を掘り返すだけの旧友なら正直な話、つるんだところでそこから先へは進めないと思っていた。けれど、仲間内の結婚を機にみんな漠然と将来について思うところがあって、かつて同じ釜の飯などを食っていた同じ年代の友人たちと2016年の今はじっくりと将来についての話ができるのは贅沢でもあり有意義すぎるものであった。こういう時のために昔の友人とは定期的に顔を合わせて、関係を暖めておく必要があったのだ。今後は誰が幸せな姿をお披露目してくれるのだろうか、またその時に再会した友人たちと、今回幸せ者になった友人も交えて、また明るい未来についての話をすることになるのだろう。今はそれを、まさに“喉から手が出る”ほど心待ちにしている。

 

唯一の心残りは行きの飛行機の遅延で挙式が見れなかったこと。焦って到着して、スタッフの人に「挙式はお開きになりました」って言われたときに膝から崩れ落ちそうになった。こんな私で非常に申し訳なかった。

2016年2月旅行記

8日間の長期休暇を戴いたので、知り合いと会ったり地元に帰ったりする目的を絡めて小旅行をしてきました。その旅行記的なまとめです。

 

1日目 2月6日(土)

自宅→旭川空港→(空路)→羽田空港→新宿→上野泊

・新宿散策と夜はその辺にあった巻き串の店に行った。

・上野アメ横でカバン屋の閉店セールのため2万円ぐらいの鞄を¥3,000で買った。以降この旅のお供となる。

・上野のカプセル¥3,100。朝食も付いてなかなかよかった。

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住宅街を抜けると突如として現れる新宿の高層ビル群。

 

2日目 2月7日(日)

上野→鈍行で宇都宮→日光→宇都宮泊

・大学生の時の友達とその彼女と日光までドライブ。

・ゆばそば大盛りを昼ご飯に。ゆばむすびをお土産に。

・10年ぶりに日光東照宮。中学校の修学旅行で行ったけど全然忘れていてほぼ初見。

・私の強い要望でいろは坂を越え華厳の滝中禅寺湖へ。

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煌びやかな日光東照宮

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男体山。「栃木ディスティネーションキャンペーン」的なので使ってもらいたい。

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〆に餃子。教科書通り。

 

3日目 2月8日(月)

宇都宮→仙台→花巻→盛岡(すべて鈍行)

・鈍行の旅をしたのは、旅費を浮かす意味だけでなく単に懐かしくなったからという事情もある。

・黒磯・郡山・福島・白石・仙台・小牛田・一ノ関で乗り換え。

・8:44に出発して仙台着が13:30くらい。昼は仙台っ子ラーメン。

・花巻の巨大ソフトクリーム。なお駅から歩くと地味に遠い。

・盛岡で冷麺と焼肉。肉を注文しすぎて重くなった。

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小牛田で乗り換えの隙に。全線通してよく晴れた1日でした。

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岩手の夜にそそり立つ。

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盛岡。

 

4日目 2月9日(火)

盛岡→新幹線で角館→鈍行で秋田の実家まで

・鈍行で貫くつもりが角館までいい時間の便がなく、やむなくこまち利用。

角館武家屋敷通りを散策。コインロッカーで困っている中国人を助ける。

・前日までの晴天とは打って変わってひどい雪に見舞われる。

・地方ローカル線の接続の悪さに泣く。

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戦国時代に活躍した青柳家の屋敷は大きすぎて今では歴史を学べるテーマパークになっている。

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雪に降られる武家屋敷通り。

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大曲駅に乗り入れる新型こまち。

 

5日目 2月10日(水)・6日目 2月11日(木・祝)

・親戚回り。

・木曜はよく晴れて雪の田圃を散歩。

・だまこ鍋と日本酒がうまかった。

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冬の田圃を貫く一本道。

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突如として現れる洗練されたデザインの橋。

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だまこ鍋。きりたんぽに似てるけどローカル。

 

7日目 2月12日(金)

秋田→鈍行で弘前→青森→スーパー白鳥で函館

・飛行機を取っていないので2日かけて陸路で帰る。

弘前で昼食。弘前の名物っぽいものが駅前に何もなくて立ち食いそばとパン屋のミネストローネ。(でもこれがうまかった)

・青森からスーパー白鳥。車両前方の電光掲示板で青函トンネルをやたらと煽ってたのが印象的だった。

・函館でラッキーピエロのハンバーガーセットと塩ラーメンをいただく。観光名所で写真撮影。

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弘前の街並みからうっすら覗く岩木山

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青森の有名な三角。

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スーパー白鳥も乗り納めか。

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函館の撮影スポット的なところで素直に撮影。

 

8日目 2月13日(土)

函館→高速バスで札幌→高速バスで旭川→帰宅

・旅の疲れもあるんだけど、バスの密室感にストレスが溜まった。

・鈍行に比べてバス移動は楽しくない。

・USB充電ができたのだけはよかった。

キラキラしたい

わたしはこのまま真っ当に生きていれば世界の主人公になれると根拠もなく思いながら生きてきたが、どうもその認識が間違いだったようだという思いがここ数年で強くなってきた。高校球児が年下になり、箱根駅伝のランナーが年下になり、オリンピック選手が年下になり、映画の主演を務める俳優が年下になった。このままいくと近いうちに政治家あたりを追い越すであろうと言われている。かつてわたしもあれぐらいの年齢になったらあんな風にキラキラできるに違いないと根拠もなく思いこんで、歳を取ることに漠然とした期待感があった。同じ時期、周囲の大人は自分の誕生日など楽しみではないと言った。最初はその意味が分からなくて、小学生に上がったくらいから「老い」のマイナスイメージをテレビとかでなんとなく学んで、なるほど大人は爺さん婆さんになり、見た目に魅力がなくなり衰えていくことを恐れているのだなと思った。もちろん衰えることは恐ろしいが、ここに来て思うことは、わたし自身が果たして華やいだ世界やキラキラした姿とは縁もないまま歳を取って死んでしまうことへの恐れ、ないしはキラキラするために努力できるタイム・リミットが刻一刻と迫っているという緊迫感である。

キラキラするという目標はボヤッとしすぎていて具体性に欠けるのでそのために何をどうするという道筋が立てづらいが、逆にどんな道筋で何をしようと結果的にキラキラしていれば正解になるので自由度は高いと思われる。大人になるということはそうやって高い自由度を獲得するということなので子供時代からしたら長年の悲願だったはずだが、あまりの自由度の高さに怯んでしまったのが現実で、自由とはわたしの手には余るものであった。自由の中で泣いて笑って精一杯生きることは至難の技であった。そして最近気づいたことは、オリンピック選手も俳優も政治家も、有り余る選択肢の中から一つの道を選んで、他のほとんどは諦めて覚悟を決めて突き進んでいるに過ぎないのではないかということ、そして自由の海を泳いでいく上で最も必要なのは諦めと覚悟なのだろうなあということです。

わたしにはまだ覚悟がなく何にも諦めがつかないので流されるままに日々をめくっているが、このままいくと永遠に時間を浪費する結末が見えるのでどこかで選択をする必要があると思う。まだ20代なので時間はまだまだあるが、もうすぐ30代なので油断すると取り戻せなくなってしまう。最近のサッカーの国際試合で、均衡を破る値千金の一発を相手ゴールにねじ込んだ選手がピッチ上で喜びを爆発させるのを見て、こんな瞬間がわたしの人生にも欲しいと本気で思った。これから1,2年は覚悟の年になると思う。あのサッカー選手がこれまで陽の当たらない場所で黙々と鍛錬を重ねてきたのと同じように、常にそうであるとは言えなくても、少しだけでもいいので、世界の中心を感じられる瞬間が欲しい。

無題

長い人生を歩んでいれば様々なことが巻き起こる。努力が実って周囲から尊敬されるような人間になれたらいい。けれど大きな失敗をして落胆することもあるだろうし、尊敬されていた周りの人々から手の平を返されることもあるだろう。大事にしていたものが奪われてしまったり、その価値が誰かの手によって損ねられたり、自身の尊厳が踏みにじられたりすることだってあるかもしれない。それでも、私は、いつだってあなたの味方になる決意があるし、それはどんなときだってきっと揺るがないだろう。後ろについているから、胸を張って自分の人生を歩んでほしい。

そういうことを自分の子供には伝えたい。

ただビーフカツが食べたくて

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脳みそが単細胞なので、連日テレビで放映される廃棄のビーフカツの映像に堪えかねて件のカレーチェーンにビーフカツカレーを食べに行ったところ教科書通りの「おいしい」が口から漏れそうになった土曜日の昼。企業の社会的信用に関わる重大な事実が明らかになったときに、一切を包み隠さず、即事実確認してメディアに公表したカレーチェーンの企業としての姿勢が素晴らしく徹底されてるなと思ったのは言うまでもないんだけど、それ以上に連日テレビで放映されるビーフカツの映像は、一消費者がわざわざ店舗まで出向いて食事をしたいと思わせる原動力にまでなったので、二重にカレーチェーンの勝利って感じがする。

社会的責任を負っている企業といえど、蓋を開けてみると中に入っているのは所詮人間なのでこういう不祥事って半永久的に続くものだと思う。2007年に次々に食品偽装が明らかになって、今年の漢字として「偽」が選ばれて、清水寺でいつもの習字の師範代みたいな人が師範代っぽい腰つきで勢いよく「偽」という文字を書いていたのを覚えている。あの腰つきに偽りはなかったけれど、あれから9年経っても依然として食品関連の偽りってなくならない。偽装と横流しとでちょっと性質は違うけど。

不祥事を起こした企業はメディアで社会的に吊るし上げられることになるのでメディアが一時的な抑止力になることはあるとは思うけれど、不祥事とされる行為の一番の動機は、それをすることで自分のところに利益が入る、かつ、それが誰からもバレなければ自分のところの株が落ちることもない、だからバレないことに細心の注意を払いながら続けていくことができれば、半永久的に、非合法的に、私利を得ることができる、というところだと思う。バレたら一切合切を失うリスクがある中、細くずるく私利を拡大していこうという行為はまさしくギャンブルと一緒で。「どうせ負けるんだからやめときなよ」と勝つ自信のあるギャンブラーにアドバイスしたところでやめるわけがないのと一緒で、現在進行形で不祥事を行っているかもしれない企業の中の人に「バレたら大変だからやめときなよ」とアドバイスすることに意味はない。不祥事が明るみになって廃業したりするケースというのは、あくまでたまたま運悪く、もしくは悪事を行っている割に悪事がバレることに対するセキュリティ体制が甘かったがためにバレてしまっただけにすぎないので、現在進行形で“不祥事(とされること)”に着手している諸企業においては、逆にますます「バレない」ためのセキュリティの蓋を締め直す結果となったのではないかと懸念される。

では不祥事をさせないためにどうしたらいいか、情報が漏れる前に自らいち早く全てを明らかにし、迅速に対応することで企業の品位を守った今回のカレーチェーンのような“模範例”を広く社会に知らせていくことはひとつ有効だと思う。社会的責任を果たす企業としての好例と悪例がいっぺんに見れたので興味深いニュースだった。あとビーフカツもそこそこ美味しかったから、味わい深いニュースだった。

次の10年へ

年が明けたからと言って生活や人生の何かが劇的に変化するわけではなく、元旦の寒い中神社に行っておみくじを引いて大吉が出たと言っても、自分の幸福は自分の手で掴むしかないということをここ数年で学びました。具体的に言えば、幸福を掴むためにはどういった状態が自分にとっての幸福かを規定し、そこに至るまでの道しるべを、現状から時間と金銭で逆算して日々着々と歩みを進めていくしかない。追記するなら、こうやって堅苦しく考えることで幸せが遠のくのではないかという説もある。

誰かがつぶやいた「2006年がもう“10年前”なのか…」という感覚がジャストにフィットしすぎて、機会があるごとにいろんな人に言っているがいまひとつ共感が得られないのが残念なところ。2006年は個人的にいろいろ大きな出来事があった年で、当時は中学から高校に上がる頃で、子供から大人への過渡期で、精神的に“戦っていた”時期だと記憶している。様々なことが嫌になったり、様々なことに依存したりして、つらく濃厚な時間だった。あれから10年経って、社会的責任というものを背負う大人になって、毎日毎日しんどいことばかりでも、あの頃に比べると「毎日のやり過ごし方」的な何かが板についてきたような、軽いテンポで日々がめくられていくような感覚がある。年を経るごとに時間の経過が速く感じられるのは、日々と「戦う」のをやめて、「やり過ごす」ものへと変化していくからなのかもしれない、というのは最近思ったこと。そうやって「やり過ごされた」時間の重なりで退屈に老けていくのは嫌だな、とまだ思えるから、もっと自分は10年前に引けを取らないくらい戦い続けていたいし、そんな時間を今から10年後にふと思い出して「あの頃は幸せだったのかもな」と言いたいなって思いました。

連勤が終わって一日インターバルを挟んだところ、以上のように前向きなコメントが自分から得られたのでよかった。不定休のカレンダー通りに進ませてくれない職場ゆえに7連勤という代物が完成してしまい、その只中に書いたところ、後ろ向きな言葉のみで読むに堪えない文章になり一編をお蔵入りにしたという事情があるが、きっとそこらへんの事情に誰も興味など無いであろう。本来ならば他人の個人的な事情など自分にとっては至極どうでもいいものであると踏んでいたが、そこにカジュアルな気持ちで星たちやハートたちがつけられる機能が実装されたことで中毒的な気持ちよさをもたらしてくれるためSNSが流行った。見た目のよい人たちが楽しそうな顔の写真をアップするだけで大量の星がつくのは自然の摂理って感じがして吐き気がする。誰にも媚びずストイックに技巧を磨き続けるスタンスを貫くことで、私は得体のしれない大きな何かと不毛に“戦い続けていく”所存なので、よろしくお願い致します。きっとこういうのも10年後に読んだら恥ずかしくてたまらないであろう。