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愚痴を書くブログ

次の10年へ

年が明けたからと言って生活や人生の何かが劇的に変化するわけではなく、元旦の寒い中神社に行っておみくじを引いて大吉が出たと言っても、自分の幸福は自分の手で掴むしかないということをここ数年で学びました。具体的に言えば、幸福を掴むためにはどういった状態が自分にとっての幸福かを規定し、そこに至るまでの道しるべを、現状から時間と金銭で逆算して日々着々と歩みを進めていくしかない。追記するなら、こうやって堅苦しく考えることで幸せが遠のくのではないかという説もある。

誰かがつぶやいた「2006年がもう“10年前”なのか…」という感覚がジャストにフィットしすぎて、機会があるごとにいろんな人に言っているがいまひとつ共感が得られないのが残念なところ。2006年は個人的にいろいろ大きな出来事があった年で、当時は中学から高校に上がる頃で、子供から大人への過渡期で、精神的に“戦っていた”時期だと記憶している。様々なことが嫌になったり、様々なことに依存したりして、つらく濃厚な時間だった。あれから10年経って、社会的責任というものを背負う大人になって、毎日毎日しんどいことばかりでも、あの頃に比べると「毎日のやり過ごし方」的な何かが板についてきたような、軽いテンポで日々がめくられていくような感覚がある。年を経るごとに時間の経過が速く感じられるのは、日々と「戦う」のをやめて、「やり過ごす」ものへと変化していくからなのかもしれない、というのは最近思ったこと。そうやって「やり過ごされた」時間の重なりで退屈に老けていくのは嫌だな、とまだ思えるから、もっと自分は10年前に引けを取らないくらい戦い続けていたいし、そんな時間を今から10年後にふと思い出して「あの頃は幸せだったのかもな」と言いたいなって思いました。

連勤が終わって一日インターバルを挟んだところ、以上のように前向きなコメントが自分から得られたのでよかった。不定休のカレンダー通りに進ませてくれない職場ゆえに7連勤という代物が完成してしまい、その只中に書いたところ、後ろ向きな言葉のみで読むに堪えない文章になり一編をお蔵入りにしたという事情があるが、きっとそこらへんの事情に誰も興味など無いであろう。本来ならば他人の個人的な事情など自分にとっては至極どうでもいいものであると踏んでいたが、そこにカジュアルな気持ちで星たちやハートたちがつけられる機能が実装されたことで中毒的な気持ちよさをもたらしてくれるためSNSが流行った。見た目のよい人たちが楽しそうな顔の写真をアップするだけで大量の星がつくのは自然の摂理って感じがして吐き気がする。誰にも媚びずストイックに技巧を磨き続けるスタンスを貫くことで、私は得体のしれない大きな何かと不毛に“戦い続けていく”所存なので、よろしくお願い致します。きっとこういうのも10年後に読んだら恥ずかしくてたまらないであろう。