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愚痴を書くブログ

無職にまつわるエトセトラ5選

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-1. 前置き

あけましておめでとうございます。2017年もよろしくお願いいたします。

この記事を開いていただいた方、ありがとうございます。2016年は大変お世話になりました。

 

早速ですが、この年越しと同時に私は会社員になりました。おかげさまで会社員になることができました。ありがとうございます。

会社員になる前は無職でした。すなわち去年まで無職。先月までニート。Before today, I'm Not in Employment, Education or Training。

自ら望んで無職になりました。9月からの4か月間という短い期間ではありましたが、れっきとした無職として生活を営んできました。

このエントリですが、無職としての自分へのお別れとして、あるいは会社員として一般社会へ戻っていく自分へのはなむけとして、この時点でなにかを遺すことにしようと考えて筆を執りました。言うなれば無職としての私の「遺書」のような位置づけですね。

自らのためだけに与えられた膨大な時間をゆっくりと駆け抜けてきました。すると手元に感想のようなものが確かに残ったので、それらを5つの項目に分けてまとめてみました。海外旅行であるとか、起業であるとか、特に何かそういう大層なことを成し遂げたわけじゃないので、結構些細なことばっかりなんですけれども。お正月の暇つぶしとしてこのエントリを存分にご活用していただければと存じます。

 

0. 無職になった経緯

4か月間無職でしたが、8月まではきちんと会社員として働いていました。3年と5か月ほど単一の企業に勤めました。企業の中で日々を過ごしていく中で、自分が将来この環境でああなりたい、こうなりたいというビジョンが徐々に不鮮明になっていったことや、転勤の多い会社だったこともあって、この環境下でどこまで続けられるのだろうかという不安を常に抱くようになり転職を考えるようになりました。最後にいた部署が期限付き赴任のような形だったため、その期限が切れる8月末を退職のタイミングと決めて会社へ申し出ました。

 

・なぜ無職を選んだのか(なぜすぐに転職しなかったのか)

大きな理由としては、転職活動をするにあたりどうしても引っ越しをして生活環境を変えたかったという事情がありました。退職時、私が仕事のため居住していたのは地元でも何でもない地方都市。地元から海すら隔てた遠くにある都市のアパートで1人暮らしをしていました。

地元でも何でもない都市で再就職する気などさらさらなく、かといって地元就職を果たし、20代半ばの今から地元に根を張ってこの生を全うする気もありませんでした。

前職の職種で再就職する気もほとんどなく、無限大に広がる選択肢の中からじっくり検討をして自分が取り組むべき仕事、ひいては自らの人生について考えてみたいと思いました。それに、地方では受け皿となる職種がかなり限られちゃう可能性が高いという事情もあります。

住んでいる場所によって選べる仕事が制約されてしまうということを嫌がって、結論、まずは多種多様な雇用が口を開けて待っているであろう東京都へ引っ越し、都心で職を探すことに決めました。地方に住みながら東京で何度も面接、というのも非現実的なので。

晴れて東京デビュー&無職デビューです。

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11月24日(木)、雪の浅草寺です。キレイですね~。無職だから見に行けました

できる限り世の中のことをたくさん知りたいという気持ちが強かったです。自分の生き方に合うのはどんな仕事なんだろうか。どんな向き合い方が必要なんだろうか。その答えを出すためには、世の中のたくさんのことを見て、話を聞いて、知って、相対的に自分のことをも深く知る必要があると思いました。今後どんな道に進むのであれ、自らの選んだ道を、職を好きになって、胸を張って歩き続けたいので。

就職活動を行い、内定をくださった4つの企業の中から、最終的に将来のことも考えて最も意味のある出会いだなと感じた企業に進むことに決めました。

 

ここまで、前置きとして無職になった経緯を簡単に紹介させていただきました。ここからが表題の中身です。本編です。

 

1. 肩書きや所属がもつ力ってすごい!

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無職には肩書きがありません。これまでは学業を修める学生であったり、企業に属する会社員でしたが、その肩書きが無職になって消し飛びました。これが結構重大な出来事だということに、無職になる前の段階ではまるで思いも及びませんでした。

まず、無条件では家が借りられない。

考えてみれば無理もないことです。貸す側の立場に立てば、今後いつ支払いが滞るかも知れない客と契約を結ぶことはリスク以外の何物でもありません。

私が9月に東京都へ引っ越す際には、まず当時の銀行残高を示すことで信頼に足る支払い能力があるのかどうかの審査を受け、さらに家族を保証人として置くことでなんとかマンションの一室を借りる契約をすることができました。無職として社会で生きていくことの障壁に最初にぶち当たった瞬間でした。ぶち当たったというほどでもなかったです。右ひじをこすったぐらいです。

肩書きで困ったことといえば、意外と生活の中で肩書きを聞かれる場面というのは多いものです。何らかのサービスに会員登録なんかをする際には結構な確率で職業を答える欄があります。自ら進んで無職になったとはいえ、見ず知らずのそこらへんの店員にいきなり「わたし無職です!」と胸を張って自己紹介するのもどうかと思いましたので、誤魔化してよさそうな場面では大体「会社員」と答えていました。でも交通違反で警察に捕まったときにはさすがに嘘をつけませんでしたね。正直に何の仕事もしてませんと答えると、道端にたたずむうんことかを見るときみたいな顔になってました。無職なのに7,000円も取られました。クリスマスイブに。さきほどこすった右ひじから下が今度は引きちぎれる思いでした。

肩書きが何もなくなってみて改めて振り返ってみると、在りし日の私はいかに肩書きによって守られていたのかを痛感することとなりました。肩書きの重みです。健康保険や年金なんかの手続きも、個人としては思考停止していても会社が全部やってくれて給与から天引きしてくれるので楽なもんです。一方で、自らが働いてやっと得た給与の一部が、どこにどれだけ流れているのかに企業の庇護の下では鈍感になってしまうのも事実だと思います。無職になってその手続きのいかに煩雑なものか、金額のいかに大きなものか、自宅に納付書がダイレクトに届いて初めて知ることとなりました。

 

2. 肩書きが変わろうと、自分自身は劇的には変われない。良くも悪くも。

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無職になる前は、正直、無職になったその瞬間に自分は最強になれると考えていました。自由に使える時間の量が増えるので、これまで仕事のせいでできなかったあらゆることが、夢見ていたことが、無職期間で一気に達成でき、その充足感から未来が明るく開け視界が開け燃費も上がり便通もよくなり人生がバラ色になる!!と思っていました。この表現にはある程度の脚色がありますが、ただ、ここを分岐点にして人生が明るく変化することに漠然と期待をしたのは確かです。

実際、確かにフットワークは軽くなったし、増えた時間でいろんなことをやりました。平日から車で観光地を訪ねてみたり、ひとりで登山をしてみたり、平日のセミナーに参加してみたり…。

ただ、思ったより充実感はなかったというか…。思ったより落ち着いています。慎ましく年末年始を過ごしています。むしろ、あれだけ待ち望んだ自分だけのための時間を使い切れず、結構暇だったのがショックでした。変わるための時間はあっても、自分自身が変われるかどうかはまったく別の話だということに気づかされました。環境にすべてを委ねて受動的になっているうちはダメなんですね。

マイナーチェンジはありますが、本質的な自分自身というのは長い時間をかけてゆっくりゆっくりとしか変化はしていかないものなのだな~と感じました。逆に、今後もそんな自分と死ぬまで付き合っていくことへの覚悟が必要だと思いました。いくら出世しようが何になろうが、自身の根本は揺るがないものです。自分の好きなところも嫌いなところも両方抱えて、自分自身を大切にしつつ、謙虚に生きていきたいものです。

逆に自分の外の社会に目を向けると、イメージだけが先行して実情が伴っていないものごとも多くあるような気がします。肩書きはすごいけれど人格が伴っていない人とかね。イメージだけについていかず、客観的な事象からものごとを見極める目を養いたいと思います。

 

3. お金がすべてではないけれど、お金は私を豊かにする重要な手段。

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無職には基本的に収入源がありません。働いていない人を金銭的にサポートしてくれる国の仕組みなんかはいろいろありますが、ここでつまびらかに説明するのは面倒なので各自調べてみてください。

生きていくのに最低限必要なお金というものが存在します。家賃、光熱費、税金、年金、健康保険料etc...。誰しも払わなければならないお金なので、基本的に収入が少なければ少ないほど、収入の中にそれらが占める割合というのは高くなります。逆に言えば、自分の意思で自由に使い道を選択できるお金というのは少なくなります。

アルバイトをするのは手段として考えました。いくつか派遣の登録をしましたが、事業所が自宅からことごとく遠い上、交通費は自己負担のため稼ぎ分が結構消えてしまうのが嫌だったので、結局一度も行かずじまい。新しい職で必要となる資格の勉強を家でしていました。それに、アルバイトの時給を計算して収入の見込みを立ててみるといかに正社員時代に稼いでいたかを目の当たりにする結果となりました。

限りある資金、そして無職生活を続ければ続けるほど目減りしていく資金をどのように効率的に遣っていくべきなのか。そう考えると、ある程度お金を大切に遣うようになったと思います。

具体的には、常にコストパフォーマンスを意識してお金を遣うようになりました。いかに限られたお金でいい思いができるのか。その考えでいくと自炊は結構楽しくやってまして、旬の食材は安くておいしいので最高だなと思いました。さらに生活時間を工夫して、生鮮食品が半額になる遅い時間帯に買い物をしたり。時間を売ってお金を節約するという考え方です。コンビニに行く頻度はかなり減りました。飲み会には欠かさず行ってましたが。

一度くらい遠くへ旅行したいと思いましたが、これもコストパフォーマンスの面から見ると満足度が薄いと思ったのでやめました。個人的な感覚として、遠くの知らない土地に行くことで得られるものは異国感や未踏の地を踏む達成感などがありますが、高い航空券代や宿泊費で割ってしまうとあまり多くのものが残らない気がしたので。それよりは近場でも自分にとっての楽しい要素を盛り込むことを突き詰めれば、海外旅行の高額なガイドツアーに申し込むのと同じくらい楽しいのでは?と考え、安宿に二泊三日でマイカーで房総半島を一周しました。一人旅のいいところを突き詰めた旅といった感じで十分に楽しかったです。

生きていくために必須のお金以外は、いかに自分を気持ちよくするかの目的に向かって遣われるべきだと思います。私の場合は、見栄のために遣うお金はあとあと何も残らない可能性が高いので今後できるだけやめようと思いました。飲み会のときは多く払ったりするかもしれませんがこれは見栄でしょうか。

 

4. いま目の前にあるものごとを一生懸命やろうと思った!

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(CV: 千秋)

自己啓発の様相を呈してきました。でも短期間の無職には自己啓発の効果があると思います。無職は広義の自己啓発。そもそも私が無職になった動機が自己啓発そのものであったのかもしれません。

2.の項目で膨大な時間を使いきれず結構手持無沙汰になり、ショックを受けたことに軽く触れましたが、なぜそうなってしまったのかを自分なりに考えると、確固とした「やりたいこと」「目指すもの」を自分の中で見つけられていないことが原因なのかな~とはじめは思いました。「やりたいこと」「目指すもの」がはっきりしていれば、実現するために必死に時間を遣うはずだと思ったからです。

ただ、「やりたいこと」「目指すもの」ってある日突然空から降ってくるようなものではありません。

ウ~どうしたらいいんだ~と頭を抱えたとき、こんなことを聞きました。

「人は何かに『没頭』できたとき、その対象を好きになれる」

「『好きだから没頭する』のではなく、『没頭したから好きになる』」

http://banqmosh.com/horiemon-methodより抜粋)

なるほど一理あるかもしれない、と思い、目の前にある物事に対してどうやって一生懸命になるかについて考えるようになりました。

そもそも将来なんて世界情勢も変わるし、逆に今できることなんて目の前にあるものごとを必死にやって極めることぐらいしかないかも?と思うようになりました。将来どうしたいかのビジョンは漠然としてはいるものの頭の中に存在していて、その梯子となる進路を選ぶことができたと現在は考えています。ただ、このまま進み続けて順調にそのビジョンを達成できるかどうかは実際にやってみないとわかりません。もしかしたらその先で新たな魅力的な選択肢が見つかるかもしれません、そのときはそのときだと思います。どうにもならなくなったらまた別の道を探ればよいのです。

 

5. 明るい無職はちょっとウケる。

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最後にしてこれが最も重要です。

世間的に無職は暗いイメージです。就職したくても様々な問題でできない人もいます。

私は幸運にも早い段階で次の働き口を見つけることができました。

この年代で大体の人は知り合いにあんまり無職がいないので、このレアリティを利用し、初対面の人に無職なんですけど…と切り込んでいくと、割とそこから無職になった経緯や生活の状況なんかに話が広がったりしたこともありました。

私も無職になる前は、「無職」に明るいイメージなどありませんでした。むしろ、暗いイメージの言葉だと思っていました。

ただ、「会社員」でも失意の中生きている人だっているはずで、現に一流企業にやっとの思いで就職しても自殺をしてしまう人がいる世の中です。肩書きだけですべては語れません。

自分の生きたいように生きるために、ちょっと抵抗はあるけれどイメージにとらわれず寄り道をする選択をしました。そんなやり方を身をもって周りの人々に示せたことはよかったのかな~と思います。

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ナイス無職!

 

6. さいごに

会社をやめて無職になったのがよかったかどうか、その答えはずっと先になってみないとわからないでしょう。ただ、シームレスに転職をしてしまったらきっと見つけられなかったことを結構たくさん見つけることができたと思います。

まずは新しい仕事を全力でやります。Good Luck!

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駄文でしたがここまでお読みいただいてありがとうございました。