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愚痴を書くブログ

辺境スケール感

最近になって旭川という街に移り住んで、その前は札幌にいて、北海道に移り住む前は本州に住んでおりました。詳しく言えば4年間仙台で暮らしていた。仙台に住んでいた頃は、というか、本州にいた頃は、将来まさか自分が旭川に住むことになるとは思っていませんでした。旭川という土地に関しては日本の辺境というか、「奥地のさらに奥地」というイメージがあった。

仙台で暮らす前は青森県に住んでおりました。青森県の中でも比較的人口が密集している都市部で暮らしていたので、特に暮らしの上で不自由することはなかったし、買い物などをするためにわざわざ他の街に出る必要も無かった。都会に憧れはしたが、自分のいる場所が不自由な場所だと思ったことはなかった。周りのみんなもきっとそうだったでしょう。「閉ざされていた」といえば確かにそうだったかもしれない。

旭川市というのは北海道の中では札幌市に次いで規模が大きい都市で、北海道というくくりで見たら実は交通の便とかとにかく利便性がとてもよい地域なのです。だから会社から道内で旭川への異動を命じられても、あまり動揺しなかったし、むしろ新しい場所で暮らしを営むことが楽しみですらあった。引っ越した後もそこまで大きな不便を感じることは今のところありません。周りのみんなも普通に仕事をし、帰ったらプライベートがあるような、本当に“普通の”生活を営んでいる。本州に住んでいる時「辺境」だと思っていた地域に今では居城を構え、当たり前のように都市の利便性を享受している。

人口20万以上の規模の都市にしか住んだことがないのでこんなことを言うのは横暴かもしれませんけど、自分の住んでいるところが「辺境」だと思っている人は案外すごく少ないのかもしれないと思いました。極端な話、首都圏の人から見たら例えば栃木より北は全て「辺境」なのかもしれないけれど、彼らの言う「辺境」にしか住んだことのない私は、上述の通り一度たりとも自分の住んでいる場所を「辺境」だと思ったことはない。ただ、青森から仙台に出た時はいかに自分がこの国の端に住んでいたかをいたく感じたものでした。人の数も、交通網なども、日本の端と言わざるを得ない青森という土地ではあったけれど、それでも私は普通に生活を営み、普通に育ってきました。

都会の人の言う「辺境」とは、今時はそのイメージよりもずっとずっと住みやすい場所で、その土地によってそれぞれ違った生活の楽しさを享受できるものなのかもしれないと思いました。20万規模、30万規模、100万規模、200万規模をクリアしたので、次は5万以下と1000万規模にトライしてみたいです。いろんな都市のスケール感と、そこで閉ざされてどれだけ便利に暮らせるかというのを体感してみたいです。