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愚痴を書くブログ

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都会にいると人の顔を見る機会が多い。単に都市に住んでいる人の数が多いというのも正しいが、それ以上に電車移動。見ず知らずの何十もの人々が、同じ方向を目指しているという共通項のみで同一の箱に乗り合わせるという現象は、車社会そのものの地方都市ではそこまで一般的なものではない。ウン年前までは雑誌や新聞を読んでいる人が多かったが、最近ではスマートフォンが移動時間を埋める役割を担うようになった、というのはどこかで聞いた話で、そのソースとして統計データや調査結果がどこかにあるのかは知らないが最たる証拠は実際に電車に乗ることであった。

スマホは乗客が電車の中で時間を潰す役割を果たしてくれるが、さてその乗客も誰かにとっての何らかの役割を果たしているように見える。幼い赤子にとっての母親がおり、上司の雑談に付き合わされる部下としての会社員がおり、海外からの来訪者にとっての案内役としてのネイティブがおり。ひとたび電車を降りれば、彼らはどこか別の社会でまた異なった役割を演じているのかもしれない。しかし、私の乗ったまさにこの狭い車両の中においては、今ここで置かれた状況下で果たすべき役割を忠実に、懸命に果たしている。

仮に私が手持ち無沙汰であれば、今そこで果たせる何らかの役割を探してそれをめいっぱいに演じようとするであろう。苦しいと感じるのは、どこを探しても役割が見つからない時、あるいは役割の要求するところが私の手中に収まりきらないか、一度に複数の役割を演じなければならない時など。

彼は居心地がいい人だと感じる彼とは、役割のギブアンドテイクがうまかったり、役割の不足や過剰について周囲から感じとるのが上手い人なのかもしれない。誰かが手持ち無沙汰であれば、多すぎず少なすぎない役割をそっと差し出す。誰かが役割を抱え込んでいれば、自らの負担できる範囲内で分担を行って楽にしてあげる。給料の出るきちんとした仕事であれば分業というのは当たり前のことであるが、それがプライベートの場面まで徹底されるというのは大したもので、私は彼らにお給料をあげたい。なぜなら居心地がよいから。

さて私はこれから人に会うにあたって、私は彼ら彼女らに対してどのような役割を演じるべきなのか。押すのか引くのか。同調するのか横槍を入れるのか。真摯でいるのかおもしろおじさんになるのか。自立するのか甘えるのか。愛される人間になるためのバランス感覚を養いたい。必要とされる場面のない人間であるより、誰かにとっての役割をもったスマートフォンになりたい。愛されることを目的とした行動は一歩過つと媚びとよばれるが、愛されることは精神衛生的に(たまには)必要なものだと思うので、トータルで見るとちょっとはその努力も必要なものだと思った。ので、これ以降すこしは人に甘えたり媚びたりしていきたい。現在ヒトの家に居候中の自分に適切な役割はなにかと考え、とりあえず干してあった洗濯物を畳んでおいた。遊びすぎて金欠なのでお給料をいただければと思います。