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愚痴を書くブログ

NONE OF YOUR BUSINESS

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たとえば、自分の意思や判断からはずれて起こるものごとに関しては、100パーセントどうなるという断定は不可能である。例外というものは必ず存在するから。だからこそ保険屋というビジネスが成立する。ビジネスというのは個人の力ではどうにもならない困りごとを、人々に賃金という餌を与える代わりに労働力を結集して、企業となって解決しようとする行為の総称だと思う。だから仕事とは人を助ける行為全般のことで。誰かの仕事を助けるためにだけ存在する仕事というのも相当数あるそうである。自分自身の話として、今の選択には別に後悔していないが、仕事を選ぶ時点でそういった観点を持っておくべきだったと思う。働きがいや生きがいというのについてこうやって考えると簡単なもので、自分には何が救えるのか、自分がこの世で助けたいものは何なのか。という問いに答えが出せることが重要なのかもしれない。

久しぶりに本屋に行きました。人類の叡智の結晶とも呼べる書籍を出版社から集め、一挙に整列させて市民の手の届きやすい位置に持ってくる、そしてそのことで出版社と作者の利益を増やす梃子となる、という一連の流れを通して人助けする役割を本屋は担っている。昨年末に私は電子書籍リーダーを買ったが、読みたくなった本がどうやら電子化されていなかったようなので本屋に足を運んだ次第。店頭には膨大な量の書籍が相変わらず何列にも展開されたゴンドラに陳列されていて、それらはジャンルごとに、出版社ごとに、作者ごとに、アイウエオ順で並んでいる。しかしながら結論を申し上げると、目当ての本がどこにあるのか結局探し出せずに店を後にした。本の量が多すぎてどこの棚にあるのか探し出せなかった。インターネットの検索機能にどれだけ普段助けられているかということを改めて実感しました。

自己啓発本というのをあまり読まないようにしていて、その理由は、だいたい自分の生活に活かせる内容が分厚い本全体の25パーセントぐらいしかないから。文章を通して著者が読者に内容を教えるという意味合いで、啓発本は教科書と共通している。受験勉強などは、一部の天才肌の人を除いて教科書を一度読んだだけでは到底突破できるものではなく、内容を確認したうえで応用の問題を何度も何度も反復することで内容が身に付くものだと経験が言う。似たように啓発本やライフハックなどというものは、主に「人生をどうかわすか」みたいな壮大なテーマに基づいていて、その点で等身大の世界で、自分というプレイヤーを操って何度も何度も実践しなければ身に付かないものだと思う。受験勉強とは違ってベネッセとかの人が生き方を添削してくれるわけではない環境下で、自分自身に鞭を打ってまで生き方の実践練習を重ね、教科書通りに啓発していける人間が果たしてどれだけいるのかと考えると、黙ってフィクションの世界に潜り込んでいたほうが大半の人間にとっては有意義で面白いことのような気がするので。

就く仕事や職場によって収入というものは大きく違っていて、基本的に人間は平等ですが職業や職場でのランクによってゴマをすられたり蔑まれたりするものです。いつだったかテレビで話題になったSMバーに政治家が行く行為が「汚らわしい」ものだとしたら、SMバーという場所ならびにSMバーで働くということは「汚らわしさ」の根源になるもので、とりわけ政治という高尚な職業とは比べ物にならないほど価値のない仕事だということになる。基本的に人類は平等だということになっていますが、一方でこうして騒ぎになったということは例外的には不平等なものなのでしょう。しかし一見不要に見える仕事も誰かの仕事を円滑に回すために、間接的に社会に貢献しているなんてこともあるらしいから、慎重に思慮すればビジネスとして存続しえている職業が簡単には社会から抹殺できるわけはないとも思うのです。

夜中遅くまで酒を飲んでいたら公共交通機関がなくなり、有難いことにハンドルキーパーとして飲酒を控えていた人の車で送ってもらった。車の中では、かつて爆発的に流行った(がある時から人気がしぼみ、気付いたら見なくなった)ミュージシャンの楽曲が流れていて懐かしい気持ちになった。多くの人が熱狂して、時が流れやがて飽きて、見向きもしなくなる中にあってもなお愛し続けられる音楽というのは、その人にとってはよっぽど尊いものであり続けているのだろうなと感じました。