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愚痴を書くブログ

諌める側が熱を帯びてどうするのだと言いたい

誰のどんな行動も軽々しく否定してはいけない。どんな行動にだって理由はあるし、もっと言えば、その行動を選んだ動機というものが個人の中には必ず存在する。「なんとなく、でやりました」とは口で言っても、“天から授かった勘”によるといえば立派な理由となる。行動とは個人の価値観が投影された結果のようなもので、同じ状況への対処の仕方も個人によって千差万別である。それは価値観が千差万別であるから。

重要なことは何度でも言うが、誰のどんな行動も軽々しく否定してはいけない。その時その時の判断で、状況や事実関係や様々な要素を加味して、本人の中で最適解と思われるものを短時間もしくは長時間で模索し、検討し、出した結果が行動である。どんな行動にだって本人なりの理由もしくは動機がある。同じように行動を起こさなかったことにも理由がある。

詰問は悪である。すなわち、「なぜそれをやらなかったのか?」「なぜそんなことをするのか?」と高圧的な態度で責め立てるような行為は、そこまで至った個人の動機をないがしろにするものである。責め立てられたら「すみません」としか言えない。そこにれっきとした動機があっても、それを伝えるのには度胸が要る。理屈を伝えたところで相手がカッカしておれば通るはずもないのは火を見るより明らかである。個人の行動を諌めたいのであれば、諌める側がより冷静になってなぜそんな行動をとったのかを理解し、寄り添う態度を取る必要がある。諌める側が熱を帯びてどうするのだと言いたい。