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愚痴を書くブログ

エシカルはエフィシェントか

ちかごろでは「エシカル(ethical)」という言葉が流行っているそうです。

 英語のethic(倫理、道徳)の形容詞で、①倫理的な、道徳上の②(社会規範に照らして)正しい、などと訳されますが、実際に使われているニュアンスはむしろ「良心」の形容句として「良心的な」「良心に叶った」「良心に恥じない」などの意味合いで使われています。エシカル指向のライフスタイル、略してエシカルライフがその好例です。
生活者/消費者としては生き方/暮らし方で、生産者/供給者としてはものづくりなど、商品やサービスを生産、供給する全過程で、自然の生態系をはじめ、環境や人権、雇用、腐敗防止など、人間社会の規範に配慮した意識と行動を優先し、選択することを指しています。
私たち一人ひとりがエシカルライフへの心掛けと取り組みを通して、地球環境の保全をはじめ、飢餓や貧困の削減、弱者救済など多岐に亘る地球的問題群の課題解決に積極的に寄与していく狙いも含まれています。
人間が行動を起こす動機には、自らの「欲望」と他者からの「命令」がありますが、エシカルは「良心」が突き動かす第3の行動規範です。欲望の肥大化が地球環境問題の深刻化を招き、地球社会の閉塞感を強めていますが、エシカルは21世紀の新潮流を示唆しています。 

 

人類の立派な心がけだと思います。いたずらに発展してきた20世紀の反省を活かした21世紀の重要なテーマです。1992年には環境と開発に関する「リオ宣言」で持続可能な開発を目指すことが各国間で確認されましたし、日本でも1997年に「京都議定書」が採択され、いわば人類の産業活動で排出されたゴミである温室効果ガスを削減するための数値目標が各国について定められました。このように21世紀を生きる私たちは、「エシカル」というものを意識して暮らしていく必要があるそうです。ってみんな言ってます。

 

けれど…、実際のところ、こういう「エシカル」「環境保全」などという意識の高い言葉を耳にするたびにどうも違和感を持ってしまうんですよね。というのも、穿った見方だとは思いますけど、あたかも人間こそが、他の生命体とは独立して、この地球を、地球環境を、保全していくべき唯一の存在なんだ!…っていう驕りのような考え方がそこに見え隠れしてしまって。

地球が生み出したものってプランクトンや海藻から魚類や哺乳類まで種類は無限にあるんですけど、人間もたかがその中の一種類にすぎず、平等に地球に生かされている存在だと私、思うんです。プランクトンも海藻も人間もみんな、食物や水や大気などの恩恵を受けて、地球に生かされている。ただしその代償として、火山活動とか津波とか台風とかの大いなる自然現象に立ち向かうことになりながら、それでも決死に種を存続させていこうとしている存在のなかのひとつにすぎないわけですよ。

まだ納得できるのは、自分たちの寿命を少しでも延ばすために地球環境を保全していきましょうっていう考え方。限りある資源を有効に利用して、より長く人間の活動を行っていけるようにしましょうって。確かにこれから生まれてくる世代にとっては貴重だし、ありがたい活動なんじゃないかとは思うけれど、地球は一個しか無くて、資源は有限であることを考えると「焼け石に水」といいますか、どうせいずれは無くなってしまうものを少しずつ少しずつ薄めて利用していくことが人類全体にとってそこまで大層なことなのかと疑ってしまうのです。そもそも「これから生まれてくる世代」の「そのあとに生まれてくる世代」の「その後に生まれてくる世代」の…ってやっていけばいずれ先細って行くのが見えているんだから、結局どれぐらい将来の話になるかはわからないけれど、いずれは資源が無くなっちゃう日がきて、それと同時にいずれかは困り果てちゃう世代が出てくるわけで。それを早めるか遅めるかだけの違いなのに、そこに関して今から死ぬほど議論しても、果たしてどれだけの意味の違いがあるかっていう話だと思うんです。

っていうか、「環境保護」といいつつもその先に追求するものが長きにわたる自分たちの利益を確保することだとしたら、「環境保護」なんていう美しい響きの言葉を使用しないでほしいものですね。僕なんてバカだから「わあ立派!」って撹乱されちゃうので…。

もっと理解できないのは絶滅寸前の野生生物を保護しましょうっていうやつ。それが「弱肉強食の厳しい自然界(ただし人間は除く)」で自然と消えてしまったという話ならもはや人間の知ったところじゃないと思うし、人間による活動の目覚ましい発展によって絶滅してしまったというのなら、それは猿に知恵を付けた神様が悪くないですか?っていうのと、猿が知恵を持った時点でそういう種はもう存続できなくなる運命だったんじゃないのってことです。

自分たちのせいで絶滅寸前に追いやってしまった種を、自分たちで責任を持って生き返らせよう!っていう人類の営みは、他の動物にはできないしすばらしいことだと思うんですけど、やっぱりいくら自然保護の一環だと言っても「人間様こそが美しい自然を蘇らせることができる」みたいな考えから脱しきれてない気がして気持ちよくないんですよ。そんなに絶滅危惧種が大事なら、仮に大きな津波が来て絶滅危惧種のすみかとなる森が粉々にされようものならもはや阿鼻叫喚ものだと思うんですけど、津波が来たところで取り上げられたのはほとんど人間が何万人死にました、とか街が壊滅状態です、っていうニュースだけでしたよね。

だから本来人間は自分たちが生きることしか考えられない、もしくは自分たちに跳ね返ってくることにしか視野が至らないものだと思うんです。いくら背伸びして地球環境がどうとか言ってても。僕は、エシカルとかうだうだ言ってないで、みんながみんな好きなもん着たらいいんじゃないのって思いますけどね。一過性のブームならやめたほうがいいですよ。都合のいい時だけ環境保護だのエシカルだのと言い始めるのは地球上に生きる他の動物とかにとっちゃいい迷惑だと思うので。