beautiful and wonderful

愚痴を書くブログ

震災から3年経ちました

3年が経ったということで、東日本大震災で感じたことや学んだことをまとめてみます。

 

・「被災地」のためにできる特別なことなどなかった

被災地」の人たちのために何か自分にもできることはないかと居ても立ってもいられなくなったので、3月中にできることを考えた。けれどボランティアをしようにも、限られた食料をボランティアが食い漁って迷惑だと言われたり、がれき撤去とかは自衛隊のパワーがすごいから一般人の出る幕じゃないと言われたりしたら、結局募金するぐらいしか思いつかなかった。それでも募金されてきたお金が何らかの事情でうまく回らなくて余ってますみたいな話を聞いて、そこまで自分にできることって無いものなのかと思って愕然とした。被災していない自分たちにできることは、普段通りの生活を送ることだけで、何も特別なことなど無いのだと知った。

 

・どんなに共感したふりをしてもふりでしかない

例えば震災で家を失った人がテレビに出て悲しいと言っていたり、または放射能汚染で故郷を追われてしまった人が無念だと言っていたとしても、自分の身内の話でもなければ自分が体感したものじゃないし、あぁこの人は悲しいんだな、とだけ思う。なんか人の道に反する気がして募金とかもしてみたけれど、いくら共感しようと頑張ったって、共感なんて努力でできるものじゃなかったし、募金したって使われないし、頑張るだけ無駄なんだって思った。頑張ろう東北!と言ったって福島のお米は売れないし、そんなもんなんだなって学んだ。同じ東北だったからこんな惨状に少しだけ思うところはあったけれど、例えば今言われているみたいに南海トラフで大きな地震があって、たくさんの人が亡くなったとしたら、それこそ可哀想だな~ぐらいにしか思わないんだろう。

 

・くくりについて

被災者」とはどこまでが「被災者」なのか? 震災当時仙台に住んでましたと言うと他地域の人には「それじゃ被災したんだね」とか「地震の時は大変だったでしょう」と言われるけれど、家の片づけが大変だったのと大学が遅く始まったぐらいで、自分の身にあんまり影響はなかった。だから自分が「被災者」だという自覚はない。けれど他地域の人から見たら、その程度でもれっきとした「被災者」に見られるかもしれない。それに、僕は家が半壊した人がいたら彼らのことを「被災者」だと思うけれど、もしかしたら彼らにとっては生きながらえただけまだマシなことで、それより家族が亡くなったり家業が廃業になったり住んでいる町が無くなった人こそが「被災者」だと言うかもしれない。逆に自分こそが「被災者」だとピンピンしている人もいるかもしれない。そうやって突き詰めていくと結果「被災者」というくくりは、誰かにとって都合のよい幻想みたいなものなんじゃないかと思っている。まあ法律とかで指定されてる場合は別だけど。

だからよく言われることだけど、同じように「不謹慎」も幻想みたいなものだと思う。

 

・震災を利用して得しようとする人もいる

ボランティアすること自体は褒められるべきことだと思うけれど、自分はボランティアをした善人なんですと就職活動でPRする人や、「被災地」のためなんですと言って「被災地」の「近く」でお金を取ってコンサートするミュージシャンとかもいたらしい。なんとなく原発ゼロにしますと言うと票がもらえる政治家とかもいるらしい。トラブルを利用して得すること自体については別に悪いことだとも思わない。損害保険の会社なんて人のトラブルがあって初めて成り立つものらしいけど世間的に一つのビジネスとして認められてるし、人の不幸を利用して価値を生んでいく点で何ら変わりはない。ただ、自分はそういうことしようとは思わないなー。なんかまっすぐじゃない気がして。

 

・痛い目を見て初めて知ることが多すぎる

原発が事故りましたと言われてもそれまで日本人が体感したことが無いことなので、どうせたいしたことないんでしょ~?と最初はにわかには信じられず、でもよく調べてみたら実は大変なことになってました!福島の人は避難してください!!みたいな感じになって、原発は怖いね~って言う人が増えていった。あと、津波警報が出てもゆうて30cmぐらいでしょ~?みたいな思い込みがあったから沿岸の人がたくさん流された。それも、大昔に大津波で町が流されたことを知っている世代がいなくなってしまったから、利便性だけ考えて低地に住宅地を建てた結果が震災前の状況で、それが津波で無くなってしまったって話らしい。後の世代が痛い目を見て「痛い!」と言って初めて知る体験を減らすために、その痛みの体験を後世に残さなきゃいけない。けれど、何世代か繰り返したらあんな津波もやっぱり忘れられていくものなのかなとも思う。

 

・歴史的な一瞬に立ち会った実感がすごかった

震災以降、僕たちは震災をリアルタイムで体感した世代である。その当時の事を後の世代に語れるのはこの世代の特権だし、歴史的なトラブルが起こった瞬間ってこんなに慌ただしいものなんだなっていうのをこの目と耳で体感できたのはよかった。

 

・地元が注目されたのが嬉しかった

なんだかんだで自分の地元である東北が好きである。連日ニュースで東北のマニアックな地名が取り上げられて、取り沙汰されて、一躍有名になって、3年経ってもなお、たまに特番を組まれたりして、一挙に注目されるようになった、それが東北人としては嬉しかった。

 

・一番深刻そうなのが「被災地」の外の人だったのが面白かった

被災地のために節電してください!!」って言ってるのが東京の人だったり、「不謹慎だから花見とかそういうのはやめよう」って既に桜が咲いてる地域の人が言ってたりした。それとは逆に、家も流されず家族に害も無かったまわりの仙台市民たちは「暇だしサークルの新歓のビラの色塗りでもしますか」って言ってた。

 

・体験したこともない異常事態に興奮した

正直なところ一番強かったのが「興奮」で、次が「興味深い」という感情。毎日明らかになる「被災地」の惨状がテレビで取り上げられるたびに、この前まで平和だった国がこんなんになってしまうものなのかと思ったのと、なんだかこの世で起こっていることだとはにわかに信じがたく、何日間もの間は宙に浮いたような心地だった。そのときたしかに僕は「興奮」していた。あと、原発が爆発している映像が何度も何度も流れることや、スーパーから食料品が消えたこと、慣れ親しんだビーチに多数の死体が打ち上げられたニュースや、自衛隊の車が列をなして走っていたこと、ガソリンスタンドに長蛇の列ができたこと、放射能による汚染で自分の家の近所も住めない土地になるかもしれないし住めるかもしれないと言われていること、それら全てが「非日常」で、これ以上ないほどの異常事態を迎えた人々と社会の動きは単にとても「興味深い」ものだと思った。