beautiful and wonderful

愚痴を書くブログ

やる気というか、ガッツが不足している

やる気というか、ガッツが不足している。

たまに、本当にたまにだけれど「お仕事がんばってね~」なんて好意を込めて言われるから、ありがたいと思って「ありがとう」なんて返してしまうけれど、実際ありがたいのだけれど、とんでもねえ話である。頑張る気力などもともと無い。仕事でやっていることなど、日々のルーチンを淡々とこなして、イレギュラーがあったらあぁそうなんですねーって言って対応して、上司に「イレギュラーがありましたのでルーチン遅れます」って報告して、そのぶんだけ残業する、たったそれだけの話であって、どこにも頑張る場面などない。強いて言えば、仕事に行く前に家から出る場面だけは少し気合が要るのと、重いものを持ち上げる時に多少筋肉を使う。

ガッツがないから、論文をねつ造した疑惑がもたれている研究者がニュースで取り上げられていても、叩く気も無いし、かといって擁護する気も無いし、そもそも興味がないし、人種差別的な横断幕を掲げたサッカーファンがいたと聞いても、なんとも思わない。ユーモアのないコンテンツには興味がない。その代わり、ユーモアの玉手箱やあ~みたいなコンテンツっぽいのを見かけては次々に開封していくのが日々の楽しみになっている。

やる気がないから、今の仕事をそのうち辞めた後にどう自らに負担をかけずにお金を稼いでいくか、みたいなことばかり考えている(しばらく今の仕事をやめるつもりはないけど)。前に田舎で土地を開墾しようかと思ったけど、農業器具とかを持つのも疲れるので、やるならあんまりつらくない土地面積でやろうと思う。ただし、仕事で重いものを持つのには慣れたので、けっこう頑張らなくてもそれなりの野菜を育てられる自信がある。根拠はほとんどないけど。

 

誰かが言っていたけれど、20年前くらいまでは景気が良くて、この社会自体がうなぎ昇りだったから、そこで働いてる人もエスカレーターみたいに自然と昇っていった。その中で頭の良い人はガンガン出世したりしていったらしい。そういう状況で「頑張れば、頑張っただけ成果が出る」みたいな認識が広がっていって、「頑張る」ことの美学みたいなのが根付いていったのだろう。でも、僕らの世代が生まれるのとタイミングを合わせるようにしてそのエスカレーターが止まっちゃったので、ただ単に「頑張る」だけじゃ昇っていかれない人たちも出てきた。そういうことで、細かく例をあげるのも面倒くさいからやりませんけど、この時代にくるまでいろ~んな社会問題が発生しちゃったらしいのだ。

だから、僕より少し上の世代ぐらいから「頑張ってもねえ…」みたいなことをいう人たちが出てきて、癒し系とか、脱力系のコンテンツが流行ったりした。世代的に「頑張る」ということがどうもしっくりこないのだろうなと思う。考えれば考えるほど「頑張る」こととその成果とが不釣り合いな感じがしてくる。東北の方言でいうところの「いずい」というやつである。

お金を稼ぐ方法の話に戻るけれど、「がんばらない」ことを説く宗教を新興させて若い世代に広めたら、けっこう信者が集まって(文字通り)儲かるんじゃないかと思う。もう先にどっかの誰かがやってる気もするけど。「がんばらないことそれこそが道を開き、人々を救済してくれるであろう」的な。僕が精神的に少し参った時に精神科に行ったら医者に「要するに、がんばりすぎなんですよ」って言われたので、言ってることは医者と一緒だし、医者もそれで食ってるわけだし、ビジネスチャンスはあると思う。あと、東京とかの通勤列車が頑張りすぎたサラリーマンたちの墓場みたいになってて見てらんないから、彼らを弔って成仏させてあげたいんです~みたいなことも説いておけば、たぶん流行る。高度成長期の常識はもう僕らの常識じゃないんで、今の世相にマッチした脱力感が宗教業界にも求められると思う。

まあ、そうは言っても、宗教法人を始めるのにはいろいろ役所に書類を提出したり、税金とかもかかりそうだし、めんどくさそう。教祖になってある程度有名になって、脱税したり、信者の女性にみだらな行為をした疑惑とかでテレビや週刊誌に吊るし上げられたらそれこそめんどくさい。それに、その創始のきっかけが「精神科に行ったこと」だったなんて信者に申し訳なさすぎて言えない。その辺はうまいことその精神科医を「神」ということにしておいて、「札幌市西区に棲むと言われる神からの啓示を受け~」的なフンイキでお茶を濁しておけばいいのだろうかな。いずれにしても、めんどくさいから誰かやってください。立ちあげ次第LINEか何かで連絡くれたら入信はすると思いますので、何卒よろしくお願いします。