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愚痴を書くブログ

橋が落ちる

人間ってどうも大きな痛手を負わないと反省しない生き物らしい。原子爆弾を落とされて初めて「戦争はやめよう」という憲法を制定した国があれば、街が大きな津波に呑まれて初めて「利便性だけを考えて海岸沿いに住宅地を作るのはやめよう」と判断した自治体があるらしい。将来想定される社会問題に対して、“賢い人”が事前に“警鐘を鳴らしてみた”ところで、大多数の人は振り向きもせず、結局時間が経ってみてやっぱりさあ困ったぞ…となった時に、初めてそこへの“時すでに遅き”対策が施される。

でも政治家は偉いから、テレビの日の目を浴びないところで事前にコツコツやってて知らず知らずのうちに僕らを救ってくれていることもあるらしい。だから政治家にやたらに石を投げちゃいけないな、と思う。

それにしてもやっぱり日本という国の将来には課題が山積してて、これからを担う我々の世代としては大変だなぁと思うことも多いわけで。特に地方で人が減ってくのが一番ヤバいと思う。若い世代が尻すぼみ的にどんどん減っていけば、税金を納める人口も減っていくし、そうすると今現在回ってる社会のいろんな部分が回りきらなくなってくる。トンネルの天井が落ちて人が死ぬ事故があったけど、天井だけじゃなくそのうち橋とか看板とか、いろんなものが老朽化に耐えられなくなって落ちちゃうんじゃないかなって思う。このままの出生率でいって、かつ、地方からの人口流出が続くと、たとえば100年後、僕が育ったみたいな東北の片田舎に果たしてどれだけの橋が残っているのだろうか。

ただ今の時点で僕みたいなただの人が出来ることと言えば、ネットでこうして「ヤバいですよ」って書くか、選挙に行って投票するか(選挙に立候補するか)、何もせずただ心配してるか、ぐらい。ヤバいことはみんな分かってるし、それに対して政治家とか頭の良い人が必死で頭を捻ってるけど、あんまり改善していく兆しが見えないから、特効薬なんてないんだなぁと察せられる。で、実際に将来になってみて、本格的に社会が支えられなくなってこの国は終わりです~ってなった時に「終わってしまったものはしょうがない、事後策を考えよう」となって、冒頭で書いたみたいな「大きな痛手」を負うことで、初めて本格的な立て直しが図られるパターンなんじゃないかなって考えてしまう。いや、もしかしたら、これから数年で政治家の偉い人たちが本気を出して、出生率が跳ね上がっていろんなところが明るくなって改善していく可能性も無きにしもあらずだけど。まあ実際将来になってみないとわからん。