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愚痴を書くブログ

僕は自転車操業

一般のお客様を相手にするお仕事は思ったより楽しい。いろんな理由があるが、例えば①多くの人たちと接する機会を持つことで一般的な人間の平均的な価値観や人間像が垣間見えること/②同時にその平均値から、今この瞬間目の前にいる人間はどれだけ逸脱しているのかが自身の感覚で測れること/③最後に、そうした特徴をもった人間に対し、どういった対応をするのが適切なのかについて瞬間的に考えを及ばせるチャレンジが結構面白いこと、など。これがBtoB(法人対法人)というものであれば、同じ人間同士のコミュニケーションであれど、争点はお互いが事業者として守らなければならないテリトリーを抱えながらどこに落とし所を見出すかであって、どちらかというと人間の本心というよりは企業の性質に挑戦する側面が大きそう。人間同士のバトルに、企業という無機質の存在がお互いのバックボーンにあって絡んでくるから異質。その点、BtoC(法人対顧客)ならば自分の相手は常に人間だから、上に挙げた3点のポイントが活きる。大学生の間ではBtoBこそ至高、BtoCは賎しい職種という認識が蔓延してい(そうな感じがす)るけれど浅はかだと思った。そういうのはまず対顧客の仕事を鬱になるほど経験してから初めて声を大にして言ってほしい。

かくいう私も就職するまでは対顧客の仕事などに正社員になってまで従事するつもりではなかったのですが、なんとなく成り行きに任せてハイハイとイエスマンしていたらこうなった。でも成り行きでそうなった割には楽しんでいる。将来に向けての決意というのはかくして無残にも破られるものであるが、そこではこのように結果オーライという概念も存在する。19歳ぐらいまでは、同世代の中でも将来の夢がある人間たちこそが至高で、将来の夢がない自分は大成できないのではないかという一抹の不安を抱えていたが、「成り行き」と「結果オーライ」というセーフティネットのお陰で24歳の現在も安定した暮らしがある。あと完全なる余談ですが、大成することにこだわりがなくなった。

例えば生来ロジカルシンキングの神にとってみれば、生来将来の夢が描けない/叶わないのは当然のことなのかもしれない。なぜなら、現時点で熱中しているライフワークがこう転じて、こう変化して、昇華して、最終的にそこに着地する、という具体的かつ追跡可能な経路図がなければ彼らにとっては実現が難しいから。子供時代に描く将来の夢はファンシーなものでなければならないということになっているし、中高生時代に描く将来の夢は高収入かつやりがいのある職業じゃないと大人が喜ばない。数式の解き方は教科書に載っているが、数式が解けることによって、何がどのようにどうなって生涯の収入が向上するかという点に関しては記述がないため、結論、ガリガリ教科書にあたったところで将来の夢が実現に向かうわけではない。

学校の成績がいいから高尚な将来の夢を描いているかというとそこにはまったく因果関係がないのも当然の話で、それは上に書いたような事情から全ての学生が将来の夢を実現するために勉強をしているわけではないという事実を根拠とする。世の親御さんたちは子供に勉強をさせたいなら、ある問題が解けることで子供が今、この瞬間に感じられる快感その度合いを上げるその努力をするべきであって、「今勉強することでいずれ素敵な将来が約束されるのだ」と遠い先のことを掲げて煽っても、当人にとってはチンプンカンプンというものできっと効果が薄いと思う。

個人的には大きな夢に向けて羽ばたくのも素敵なことだと思うけれど、自転車操業でやっていくのもいじらしくて美しいと思う。現に私の人生はその余裕のなさゆえ、数秒先の自分が気持ちよく生きられるためにどうするかまでしか考えが至っておらず、でもその割には比較的健全に過ごせております。

 


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