beautiful and wonderful

愚痴を書くブログ

魔力

たとえば地下鉄で向かい側に座った女性が(たいへん失礼にあたる表現ではあるが)ルックス的に及第点を与えられないような顔であったとしても、どこか昔惚れていた人に似ていたらそれだけでバレないように凝視してしまう。もう10年近く前の、脳味噌の裏の裏側に仕舞いこんでしまったような記憶と記憶のあつまりだとしても、一目で瞬時に取り出してそういった時期の淡い思い出に浸るタイムトリッパーとなれるほど尾を引いているから恋の魔力とは凄いものだと思う。地下鉄を降りて家に帰るまでその記憶旅行が続いて今に至る。

こうやって過去は何らかのきっかけで取り出されては気付いたら忘れられ、またあるときに取り出されを繰り返すのです。これから来る未来は、ひとつひとつがのちに過去として積み上げていくものばかりで、やがて過去となっていく一瞬一瞬は、よいものも悪いものもいつまでも消えることはないのでしょう。

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空気が冷え込んできて、この季節特有の空気のにおいがあると信じているのはきっと自分だけではない。童謡で「小さい秋みいつけた」と歌っていますが、基本的に秋は小さい季節だと思います。夏や冬みたいにアツイとか寒いとか感覚に訴えるものが少ないので、黙っていると気付かずに素通りしてしまう。でもよーくよく感覚を研ぎ澄ましてみると、たとえばキンモクセイが咲いていたり、木の葉が赤く色づいていたり、田んぼが黄金色に波打っていたり、何らかの小さな変化を秋は発しているのでそれに気付いてあげましょう。そうでなければある日グッと冷え込んで気付いたらもう冬だ、となって「今年の秋は短かったなあ」という鈍感な人が毎年同時多発するのが初冬の風物詩となっています。仕事を始めたら、建物の中にいる時間が長く(しかも空調が効いていて年中同じ気温で)季節感というものを感じる機会が激減しておりゆゆしき事態だと思いました。より自発的に季節を見つけていかなければいけないフェーズに入ってきた。人間は社会というものを築いて快適な暮らしを実現してきましたが、それ以前に動物として果たさなければいけないことがあったと思う。たとえば春の命の芽吹く瞬間の美しさとか、冬場は生命の危険にさらされることとか、そういうのに耳を傾けること。現代の暮らしの豊かさを享受しても、動物的な感覚的な部分は衰えさせないようにしていきたいと思いました。