beautiful and wonderful

愚痴を書くブログ

生きたまま死なないために

我々は人間という生き物である。生き物である以上、栄養を摂って、陽の光を浴びて、暗くなったら眠って、明るくなったら起きて、たまに喧嘩したり、恋をしたり、性欲に駆られたり、排泄をしたりしながら生きている。そんな自然の摂理に従って「生きている!」って実感できる場面がもはや尊い。

方法論ばかりが先立ってしまっているのではないかと思う。生きるためにお金を稼ぐために社会を相手にしていたはずなのに、どう目上の人と接するかとか、自分の「社会的価値」をどうPRするかとか、貴社への志望動機を伝えるためにどうするかとか、等など、その「社会を相手にする方法」ばかりに集中して日々を過ごしすぎているのではないか。資本主義の社会が進歩した結果として、生きていくという「目的」のための、二次的な「手段」としての能力を鍛えることに日々の意識を置きすぎている気がするのだ。そもそも、生き物として持って生まれた「感覚」をもっと大事にしたい。

もちろん、そういう生き物としての「感覚」を満たしてくれる存在として「仕事」があるんだ!って全ての人が言えるならば、もう何も言うことはないのだけれど…。

 

前にも一度このブログにのっけた事がある歌詞ですが、お気に入り。

朝は立ったままでストレス そっとしたいユウウツ

雇われてるモラル

ただ毎日をよけるのは難しいね

DEAR FEELING せめて君だけはそばにいてくれないか

FEELING もしも君が行ってしまったら

人間やめる

首から下げた誠実は手首に巻いた崇高は

獣が単に進化して代わりに手にした財産

翼もない牙もない角もない速くも走れない

心に刺さった歌詞 - OSZQ

(動画は著作権の関係で消されちゃったみたいです)

 

人間には空を飛んだり、戦ったり、大地を駆けまわったりする力が備わっていない。けれど、だからこそ、このようにして持って生まれた鋭い「感覚」というものを大事にしなきゃならないと思うんですよ。楽しい、とか、嬉しい、っていう体験に対してもっと積極的にならなきゃいけないと思うし、出し惜しみをしていたら、どんどんと「生きている」実感から離れていって、最終的に心が飢えて死んだも同然、「人間やめる」の状態になってしまうんじゃないかと。

逆に「苦しい」「つらい」経験は極力なくしていくようにするのが生物としては自然な流れなんだと思う。もちろん「つらい経験こそが人を育ててくれる」みたいな議論が100パーセント間違ってるとは思わないし、そういう側面は確かにあると思う。けれど、「そういう側面もある」程度で、実際、つらいことを我慢するのはやっぱり心に悪いし、寿命も縮まるし、決して良いことばっかりではないと僕は思う。

だから「つらいことを乗り越えて、いつ何時でも歯を食いしばってがんばろう」的な風潮はとっとと廃れてほしいのです。マイナスがあってこそプラスが際立つのは間違いじゃないけれど、そもそもマイナスとプラスを掛け合わせてしまったら結果はマイナスなわけ。それよりは全部足して一番プラスが大きくなる生き方をした方がたぶんいい。全ての人にとってそうとは言えないと思うけれど、少なくとも僕はそういう選択をしていきたいと思っています。

だから月曜日とかにしんどいわ~と思ったら、たまに仮病を使って一日寝て過ごしてもいいと思うんです。どうせ職場に一人欠けたところで、出ている人間が頑張って埋め合わせをしてくれて結果的になんとかなるわけだから。全ての職場がそういう仕組みかどうかは知らないから責任は取れない、けれど。 

 

ちょっと余談 

最近「昭和歌謡」というものが好きで、なんでかっていうのを簡潔にまとめると、DREAMS COME TRUEの「やさしいキスをして」っていう曲がいいな~としみじみ思っていろいろ調べてみたら「昭和歌謡テイスト」を意識して作られたらしくて、じゃあそのルーツをたどってみようと思って「昭和歌謡」というジャンルを掘り下げ始めたら、やっぱりいい音楽の宝箱やあ~と思いました。って感じ。

そういった感じで、YouTubeで聴いたりツタヤで借りたりして昭和のヒット曲をちょこちょこ聴いてる。そんな折、今から30年くらい前の某ヒット曲をYouTubeで聴きながらコメント欄を見てたら、ふとこんなやりとりが目についた。

 22歳の私が聞いてもダサいとか古いとか全く思いませんでした。

とっても素敵な曲。。。心に沁みますね。。。

(上のコメントへの返信として)僕なんか13歳で結構この曲好きですよ。この手の曲なのに音楽が他のと違うのがいいです。でもたぶん僕が平成の曲より昭和の曲のほうが好きなせいもあるけど…

このコメント、素晴らしい。素晴らしすぎる。

つい、太字にした上にアンダーラインまで引いてしまった。

13歳でこんな昭和歌謡をイイっていうセンスもさることながら、この背伸び感。僕もこのくらいの歳の頃は、周りの同い年の子たちよりも少しでも大人でありたいとか、ひと味違う13歳でありたい…!みたいなことを常に考えていたので気持ちがすごく分かる(ただそういう願望ってわりとみんな共通して持ってるもので、そもそも「人とは違う存在でありたい、という願望こそが人と被っちゃってる」ジレンマに数年経ったら気付くのは、もはや誰もが通る道なんじゃないかと思う。まあ、あの頃からキッカリ10年経った今でも僕は背伸びの塊みたいなもんですがね)。

そいで、なんで人は「背伸び」したがるのか?っていうのを考えてみたら、そもそもそれって本能的な部分によるものだろうと思った。生物って戦って子孫を残したりするものだから、なにか他の個体より抜きんでた能力を持つことをみんな望んでる。けれど、先にも書いたとおり、人間なんて非力なものなので、それぞれの素の能力の差なんてそう大したものではないわけで。ではどうするかと考えたら、結果「自分は周りとはひと味違う」ことで差別化を図ろうとする。そして、それを周囲に誇示することで、個体としての魅力を高めようとする。そんなところだと思うわけです。

それを踏まえたうえで、さきほどのYouTubeのコメントを見た感想は「生物の本能としての欲求を恥じずに真っ向からアピールしきった意欲作!!」だなと。今後もこの13歳の紳士(淑女?)が、生きていく上で生じていく様々な欲求や不満を恥じずに曝け出して生きていけるよう、ご活躍をお祈りしたい。そう強く感じた。

 

 

追伸

前回の記事を取り上げていただきました。「初取り上げられ」です。嬉しいです。

現実という幻、物語という真実、外国人から起業家が生まれやすい理由 - 新世紀の生き方、物語の世界