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愚痴を書くブログ

社会人二年目病

仕事を退職するときはいままでの貯金をすべて持って実家に帰って、1か月ほど何もせず遊んで暮らし、ぼちぼち週4ぐらいでバイトをしながら就職活動をしたい。そしてその後は、そんなに大きくない会社でまったり働きたい。という話を同期にしたらすごい同意されました。何気なく漏らしたはずだった言葉を見事にレシーブされ、驚くほどの強さで打ちこまれた。お互い多少忙殺されかけてはいるが、別にストレスで禿げたりしているわけではないし、普段は活力を以て仕事に励んでいる同士だから、きっと退職についてぼやっと考えてしまうのは社会人二年目ぐらいの誰しもの目前に共通に現れてくる症状なのかもしれないなと思った。その中で個々の価値観や経済状況や決断力などさまざまな要因から、二年目で決断をして離れていく者もあれば、僕のように特に何も考えずダラダラと日々を消化し続ける者もおり、その繰り返しで気付いたら数十年勤め上げてしまう者もいずれ出てくるのかもしれない。

残業するのはやらなきゃいけないことが残っているから。やらなきゃいけないことをやろうと思うのは、やらなければあとあとで困るから。あとあとの自分のことを楽にするために今やり遂げてやろうというエネルギーが最低限湧いてくるだけのやりがいを感じられる仕事なのだから、残業している最中はタスクに夢中になっていることは否めない。私に関しては、仕事とはただただつらい拷問ではなかったと感じる。仕事が日常に溶け込むと、職業とはブラックやホワイトでは測れない色になる。仕事が多いだけ単純につらいという一次関数ではない。ブラック企業とは就活生の瞳にだけ映る幻覚だったのだろうか。まあいずれにしても、早く帰れるに越したことはないけど。

就職活動の面接で喋った「志望動機」で掲げたような大きな目標・御社で成し遂げたいことなどというものは、積み上がった日常の仕事によって目の前を塞がれたおかげで今や見えなくなってしまった。まあそのことに関してはあまり気にしていない。その場しのぎ的にでっち上げた目標など一貫して掲げ続けられるわけがないし、なにより大学を出るまで達成できた夢などひとつとしてなかったから、その点で自分自身には期待していない。しかしながら、目の前に積み上げられてしまったタスクを消化するだけで近視になってしまって遠くが見えなくとも、手に触れる範囲から学べることなどというのはいくらでもあって、その積み重ねで曲がりなりにも2年間やってきて大なり小なり自分が見違えるほど大きくなれたという実感だけは崩れ得ない現実として手元にある*1。壮大な夢を描いて達成のために励むことだけが成長の種ではないと知って救われた。これから先どういう経路を選んでいくか全く定かではないけれど、見るからにいばらだったり、やけにキラキラしていたりしない限りはだいたい今と同じような感じで、また遠くが見えずやみくもな日々が続くのだろうと思う。それはそれできっと正解の道のりなのだろうと。

*1:完全に余談なんですけど、僕は未来より過去のほうが好きです。過去に縋るな、未来を見ろ、とたまに言われますが、なにについて語る際でもゆるぎない根拠として扱えるのは過去の話だけであって、未来は確定しないものなのでどうにも頼りないのです。