beautiful and wonderful

愚痴を書くブログ

スーパーマーケット・ファンタジー

東京に移住して最も行くようになった場所は、都心のビル群でも新宿とかの歓楽街でもなくて近所のスーパー。1日2回行く。暇人は1日2回スーパーに行く。地方から移ってくる前の東京暮らしのイメージ、それは電車に乗っていろんな場所に行けるのがハッピーだと思っていたが、冷静に考えたら電車賃って高いし、最寄り駅のエリアにとどまっていてもそこそこ楽しいし大体のものは手に入るし経済的。書店とか薬局が入った複合商業施設っぽくなったスーパーに行けば大抵時間が潰せる。スピッツ草野正宗は船に乗る訳じゃなくても港に行くと歌っていたが、私は特に買うものが無くてもスーパーのドアをくぐる。空っぽのカゴを抱えて主通路を歩く。

毎日スーパーに行くと微妙な変化にも気付くことがあって、必ず入口付近に陣取っているりんご、昨日まで138円だったのが今日は98円に値下がりしていたり、担当者の発注ミスのせいなのか知らないけれど当日までに消費しなければいけないという期限の生たらこのパックが半額シールとともにものすごい量が陳列されていたり。94円の鶏もも肉と同じぐらいの量が陳列されていたけれどたらこってそんなにユーザーいないだろう。パックで500円ぐらいするし。しかし翌日になると全部撤去されて辛子明太子のコーナーに生まれ変わっていた。破壊と創造。1日にパック1つ分ものたらこを食べたら身体の中の何かが確実に破壊されるであろう。そしてあの生たらこ達の現在の行方は誰も知らない。

スーパーマーケットの売場ひとつにも幾多のストーリーがある。侮るなかれ。年中無休で物語は生み出され続ける。ドアをくぐってカゴにほしいものを詰め込んで、レジを通ってドアから出ていくまでの流れの中に、目を凝らすと我々はいくつものドラマを目の当たりにすることになる。半額シールを手にした白衣の惣菜担当者。その後をつける人々。思わずカゴの中身を戻す人々。お揃いの弁当を選ぶカップル。大量陳列されるメジャーな野菜。割高で数の少ないマニアックな野菜。担当者の気まぐれで偶発的に産み出されたのであろうマニアックな惣菜。30%OFFになっても売れ残る惣菜。私がレジ袋に入れて持ち帰るのは、単なる品物ではなくドラマを通り抜けてきた産物と言えるのかもしれない。大いなる時の流れの中で売れ残り値を下げられるという比較的屈辱的なドラマをくぐってきたと思われる98円のりんごを噛みしめたら、確かに新鮮さが欠乏しているせいなのか舌触りが微妙だった。物語にはルーツがあってそれなりの帰結がある。起承転結を噛みしめる。噛みしめたそれらは明日の私の血肉となり、活力となる。明日また物語を回収しにいく。