beautiful and wonderful

愚痴を書くブログ

無味芳醇

井の中の蛙は大海を知らずして一生を終えるが、人間も似たようなものでしょうか。ある悲しみや苦しみといった負の感覚は、広かれ狭かれ、ある一定の地域、範疇の中でだけ共感されるものなのかもしれない。だから、極力みだりに絶望したり失望したりするのはこれから先やめようと思いました。負の感情は連鎖するから、悲しみや憎しみの軽率な発現は押し売りと化し、次々と無用な悲しみをまた別の心の中に生み出すことにつながるのでしょう。それって誰も幸せになれないのではないか、とここまでのことをきょう電車の中で思いましたので記録しておきます。

理科や数学はヒューマニティーに欠けている感じがして、味気がなくて避け続けてきたけれど、余計な感想などを抜きにして完結できる点では気楽なものだと思えるようになってきました。なんの捻りもない問題なら1+1は2であると決まっており、それ以上なにも迷うことはない。そこに感情の入る余地がない。しかし文章なら、前提としていくらでも余分な感想を挿し込むことができてしまうので、書き手が読み手の認識を意図的に歪めてしまえる可能性がある。そこには下駄を履かせるような小汚さを感じます。

前置きが長くなりましたがそういうところで、わたしが目指したいのは事実を中心に淡々と述べ、あとは読み手が自由に解釈できるような文章を自在に繰り出せるようになることです。もちろん自分の感覚を伝えることは大事ですけれども、それは日記というもので、読み物のおもしろさはそこだけではないと思うので。噛めば噛むほど味が出るような、ないしは、味がないけどどことなく芳醇だなあと読み手に思わせる文章を量産していきたい所存です。山崎パンよろしく。プロの物書きがそういう点で面白い文章ばかり書くことを求められ続けるのはたいへんだなあと思いました。息抜きにといってとんでもない駄文を書いてみたりすることがあるのでしょうか。ないのでしょうか。どちらでもよいのでしょうか。ちなみにこの文章は書き手も認める駄文ですのでよろしく。